はじまり
——がたん、ごとん。がたん、ごとん。
ふぅ・・・・・・ふぅ・・・・・・。走ってきたから息切れがひどいな。
みんなも自分の列車に乗っているんだろうな。ダメダメ、駅でのことを思い出したりしちゃダメ。
蒼ちゃは蒼ちゃが進みたい列車に乗れた、それだけを考えなきゃ。
蒼ちゃの列車は真っ赤な色をしているかっこいい列車だった。蒼ちゃ、ぼんやりしているから乗りおくれるとこだったよ。
どれに乗ったらいいのかがわからなくて迷ってたの。乗車券の見方が難しくて難解だったの。パズルみたいで、逆さにしたり、折ってみたりしてカタチを変えてみたりして考えてみたんだけど。
そのまま普通に読めばよかったみたい。難解パズルにしていたのは、蒼ちゃ自身だったってこと。
今はちゃんと読めるよ。「赤い列車 2023年6月20日 真夜中発」って書かれている。『赤』の文字が水で滲んだようになっているけど、ちゃんと読める。手汗のせいかな、それとも——。
何はともあれ、乗車できてよかった。ギリギリセーフ。あれ? 電車のなかからは外は昼間なんだなァ。
最後? うん、最後の駆け込み乗車だったみたい。駅長さんにキッて睨まれちゃった。
あんまり混んでないみたいでよかった。
いっしょの列車にはどんな人がのっているんだろう。みんな、とても個性的な風貌をしているし、それに何かを持っている。
絵具を小脇に抱えている人もいるし、ボールを抱えている人もいる。なんなら包丁を持っている人もいるけど、危険な人ではなさそう。割烹着を着ているから、料理をする人なのかもしれない。
あ! 友達がいる。蒼ちゃ、この子といっぱいお話したかったんだよね、ちょうどよかった。目の前に座っちゃおッと。
「こんにちは! 蒼ちゃだよ。それアクリル絵の具だよね。」
「こんにちは。久しぶりだね。蒼ちゃはボールペン?」
あれ・・・・・・。蒼ちゃ、こんなボールペンを持ってたっけ。乗車したときには手ぶらだったような気がしたんだけど。
「う、うん・・・・・・。ボールペン持ってる。」
なんだかとても不安な気持ちになってきた。どうして、ボールペンを蒼ちゃは持っているんだろう。
「そっか、蒼ちゃはボールペンなんだね。」
「な、なにが?」
「この列車ではね、必ず何かを持っているんだよ。それが蒼ちゃはボールペンで、私は絵の具だった。何かを持っている人が乗車するんだよ。」
「何かを持っている。」
それから、この列車のルールを教えてもらった。蒼ちゃはボールペンを持っている。それも蒼ちゃだけのボールペンだ。友達の絵の具を持たせてもらったけど、それは直ぐに消えてしまった。
友達も蒼ちゃのボールペンを持ってみたけど、やっぱり消えてしまった。気づけば自分の手のひらに戻っている。
どうしてだろう、胸の奥がズッと重たい何かを感じる。
「ねえ、不安だよ。」
友達は少しだけ心配したようにはにかんでいる。蒼ちゃはいつもそうだ、不安を抱えている。
「大丈夫だよ。ここでは誰も何も奪わないよ。奪おうとしても消えちゃうんだもん。」
駅構内のなかでのことを蒼ちゃが思い出しているのを見透かしたように友達は蒼ちゃの目をまっすぐに見つめている。
そういえば、いつから人の目をまっすぐに見て話をしなくなったんだろう。
「ね、ねぇ。蒼ちゃはこのボールペンをどうしたらいいの?」
「どうもしないよ。持っているだけでいいんだよ。」
持っているだけでいい。
「使わなくていいの?」
「いいんだよ、使わなくても。」
「持ってるのに?」
「うん。だって、持っているだけで私たちはずっと使っている。」
よくわからない。だけど、なんだかとても嬉しくなってきた。
「あ、蒼ちゃ。なんでもかけるよ。ボールペンがあれば、なんでもかけるよ。」
友達は笑う。
「蒼ちゃはずっとかいていたじゃない。知っているってば。」
それから、ふと思い立って、蒼ちゃは『責任』の文字を紙にかいてみた。
「せきにん?」
「そう、責任。」
蒼ちゃが神妙な顔をしているからだと思うけど、友達の眉間もあやしくなってくる。
「蒼ちゃは、この責任ってやつに追いかけられてた。」
ふと思い返す日々を蒼ちゃは忘れない。忘れることが出来ない。
「で、どうなったの・・・・・・?」
蒼ちゃは頷く。
「列車に乗り込む前に、捨ててきた。」
「責任を取らないってこと?」
「ううん、違うよ。」
少し考える時間をおいてから、友達が言う。
「責任ってなに?」
蒼ちゃは、その質問を待ってた。すかさず答えることができるのは、そのせいだ。
「わからない。」
少しの間をおいてから、蒼ちゃの神妙な顔がツボにはいったようで、けらけら笑っている友達はおなかを抱えている。じゃあ何に追いかけられていたのか。
ふたりでわからないことを考えるのはやめようと言い合ってから、友達はどこからかキャンパスをとりだした。
「ねぇ、絵を描かない?」
「うん、私が線画を描くね。塗るのはどうにも苦手だし。物語をまず考えよう。そうだ、絵本にしよう。どんなものがいいかな?」
列車に乗り続けている時間は短くて長い。
そうだ、この責任の紙は列車の外に捨ててしまおう。
「あ。」
車窓を開ければ強い風が舞い込むから、ギュッと目を瞑ってしまった。目をあけたときには蒼ちゃの指に責任の紙がない。風がさらっていったみたい。
やっぱり不安がよぎる、窓をあけたから他の人に迷惑をかけたんじゃないかって。
でも、誰も気にも留めていないみたい。友達も気にしていない。なんだ、杞憂か。
「蒼ちゃ、今ならなんでもかける気がする。」
「なにいってるの、蒼ちゃはずっとなんでもかいてきたじゃない。」
「そうだった。」
—— はじまり ——