ツインレイのお願いごとについて。

ツインレイのお願いごとについて。

2023年7月4日(火曜日)

出会ったとき、私たちは約束をした。

その約束は必ずに果たされる。

 

お互いに『与えたいもの』があった。

それは、自分自身が相手から与えられるものである。

 

相手に望んだものがある。

それは、自分が実行することである。

 

言霊でしょうか。

約束をした内容は自分を縛り付けるものとなる。ツインレイの約束は契約なり。

その約束を果たす必要性がある。

与えたいと思ったものは、自分自身がツインレイの相手から与えられるものとなってやってくる。

与えたいと思う気持ちは、与えられる権利がある。

相手に何かをしてもらおうと思うのであれば、それは自分自身が行うこととなる。

 

メカニズム。私たちは多くの契約をしている。その契約をひとつひとつ守っていかなければならない。

そして、過去に残してきた『嘘』をも『実』にしていく必要性がある。そのときは事実であったとしても、それが嘘にならないように実にしていく必要性がある。

嘘は実にして終わらせる、これが言霊の世界。

私たちは嘘が吐けない。嘘はマコトにかえてしまうから、嘘がなくなる。

 

私たちは誰かに何かを望むとき、それは自分に望んでいることである。

 

私は彼にあまり多くのことを望まなかったような気がする。

与えてくれようとするものを受け取ろうとは思ったけど、でも、必要がないものや過剰なものはいらないと言っていたような気がする。

彼にとって負担になるものや、彼の人生にとって不利になる約束はしなかった。望まなかった。

特に期待がなかったという言葉は語弊があるけど、別に何もいらなかったんだ。

だけど、彼は一生懸命に私に何かを与えようとしていて、だけど、まだそれが出来なくて。

「ちゃんと準備が整ってからお迎えしたいの。」

と言っていたけど、どうしてだろうね。我が家のほうに家が一軒の空きが出来るんだが。準備がこちらに整っているのだが?

そして、彼は私に「すべてを捨ててきてほしい。」と思っていたけど、彼はすべてを捨てて私のもとへ来るんだろう。

私たちは、多くの契約をしている。

クチ約束だけど、そのすべてを私たちは守っている。守らされる。自分で自分に約束をしたこと。

 

対峙は束縛と自由かと思っていたけど違うね。秩序と自由だ。秩序たる束縛のなかにしか自由は存在しない。

だから、私は『秩序』というキーワードを探しに来た。私が欲しいのは束縛じゃなかった、自由な彼を守る秩序だ。

だけど、彼が欲しかったのは自由じゃないはずだ。家族だ。

 

私は彼に与えたかったものがある。

笑わせてあげたかった。辛いとき、泣かせてあげたかった。

すべてを丸ごと受け入れてあげたかった。愛したかった。

降りかかる火の粉をはらってあげたかった。守りたかった。

なんで、こんなに私は彼に与えたいものが女性に対しての対応なんだろうと思っていたけど。だけど、これは私が与えられるものなんだな。

一番の味方でいてあげたかった。

これが私が受け取るものなのかなァ。なんか、実感ないけど。

 

私は彼の好きなようにしていいと思っていたし、好きに決めていいんだよって思ってた。

彼が結婚しどきだと思うときに結婚しようって言った。

すべてにおいて彼に任せようと思った。というか、それが正解でいいって思ってた。

無責任だと思うかもしれないんだけど、それが信用だったし、なんだろう。

「待っている」ってそういうことだった。彼の準備が整うまで待とうって思っていた。

だけど、これは彼の準備じゃなくて、私の準備となっている。彼をむかえる準備を私は粛々と進めていたようである。

私がいよいよ結婚しどきだと思うときまで、私は準備を進めている。

 

わかっているんだよ。私の心ひとつの話だってことも。だけど、まだ私は結婚したいって思えていない。

どうしてだろう。足りないものがある。それがなんなのかはわからないけどね。

だけど、まだ結婚したいって思えていない。ずっと結婚したかったんだがなァ。

責任を取りたくないとか、怖いとか、覚悟がないとか。そういうことじゃなくて。彼くんが嫌だとか、そういうことでもなくて。

なにかが足りなくて、その足りないものがなんなのかが私にはわかっていない。

心の欠片なんだけど、その欠片が足りていない。

結婚に対してのマイナスはもうない。今やゼロ地点。

彼くんに会いたいとか、結婚したいとかそういうことじゃない。それはもう決まっていることで、今や、問題はそこじゃない。

ほしいのは、結婚生活に対しての希求だ。

いっしょに生きていきたいとか、生活がしたいとか。そういう抽象的なものではなくて、もっと具体的なものがなくて。私は説得性にかけている。

勾玉をくれた友達が勾玉の占い師さんに言われたと言っていたこと。

彼はすぐにでも結婚したいと思っているけど、私が数か月後でいいんじゃない? みたいな感じだって。

うん、そんな状態かもしれない。

 

だけど、最近はちょっとだけ『好き』を思い出して——。

いっしょに絵画展とかにいけるといいなァ。私、美術展とか好きなんだよね。ムーミンに北欧、ダヤンに猫、リサとガスパール、ピーナッツ。

部屋には好きな絵を飾りたい。今はダヤンとムーミンが飾られている。

美味しいイタリアンのお店も好きだけど、最近はカレーのお店が増えてきたよね、カレー好きかも。

スパイスから作ったことがあるが美味しかった。

ライブは好きだけど、カラオケはやっぱり行きたいとは思わない。でも、別にいかなくてもいいかな。今は好きな歌手もいなくなった。

そして猫が飼いたい、鯖柄の猫がいい。

もう本は今読みたいとは思っていない。ずいぶん楽しんだし、もういいんじゃないかってぐらいに読んだ。

やっぱり宮沢賢治も芥川龍之介も好きだよ。もちろんヘミングウェイも好き。哲学書も好きだよ。でももう難しい本はいらないかもね。

今は絵に関する本が欲しいかな、美術館で買えるやつ。

旅行も色々いってきたよ。別に旅好きってわけじゃなかったけど、この日本であればどこでも行ってみたいと思う。私はこの日本が好きだと思うから。

植物も好き。いくつか育てているけど、やっぱり私は植物が好き。家に少しだけでいいから庭が欲しい。

そして、風が通る家がいい。

私は空のないところで生きていけない。空があるところに棲みたい。

たまには鉱物が買いたい。たまに増えていても気にしないでほしいと思う。

 

占いとか、パソコンとか。このブログもずいぶん成長したんじゃないかって思う。

だけど、どうしてだろうかな。未来を想うと、占いもパソコンもブログも、こっそりとそこにいるような感覚はするけど、主役は彼らじゃない。もっと違うんだ。

私は結婚するだなんてことになったら、生活が変わるんじゃないかと思っている。

よく私は『ツインレイに携わりたいとは思っていない』と言葉にしている。それは私の本音だ。

私はツインレイの相談とか、占いとか。そういうことをやりたいとは思っていない。

ツインレイは青年期だから。

もう魂の子供時代を抜け、大人になっていく青年期を迎えている魂に向かって、とやかく言葉を吹っ掛けては彼らがこれから大人になる邪魔をしたいとは思わない。

自分でなんとかできる。だからツインレイと出会っているのに、自分一人で何もできない存在だと植え付けたくない。

青年期に自立する魂に何かしらの世話をしたいとは思わない。成長を阻害するような、自立を促すことが出来ない存在になりたいとは思っていない。

出来ることは邪魔しないようにすることぐらいだと思っている。

 

つまり、私は特に結婚に期待もないし、結婚生活でやりたいこともないっていうのが現状。

ツインレイとして結婚して、ツインレイの活動がしたいとかもない。

子供が欲しいとかもない。結婚に事由がない。

結婚に意味がないんだよな。そこに意味を見いだせないでいる虚しい人になっている。

だけど、なんとなく結婚も楽しいものになるかもしれない。そこにある生活の自由スペースが増えること。それって楽しいかもしれない。

生活を豊かにするものは『好き』を集めることなんだと思う。その『好き』はお金じゃ買えないものだ。

まずはそこに好きな彼くんがいて、そして好きなものがいっぱい集まった家があること。

私は、そんな生活を望んでいて、先ずはその生活についてをひとつひとつ希求したいと思っている。

 

おはよう。長い時間、眠っていたみたい。

楽しいと好きに探しにでかけよう。意味なんて見つけられないから、楽しいと好きをかき集めてみよう。

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