ツインレイとして神からの自立の宣誓
理解するってことは、終わったものがあるってことでもある。
彼くんの自己統合と自己分離も終わったようで。
それから夢でオムライスを食べた。
めちゃくちゃ美味かった記憶はあるんだが、それ以外は記憶がない。
オムライスの夢って『結婚の兆』っぽい。
で、今日はパソコンを立ち上げたら、時間がバーンとド真ん中に表示されるんだけど、時刻の11:11が目に飛び込んできた。
今までにないことだったからちょっと驚いた。
ひとつだけわかっていることは・・・・私は幸福だったんだなってことです。
面白いぐらいに私は恵まれていたことを知りました。
知りませんでした、私は人と自分を比べる余裕がない生活と、そして精神活動をしていました。
だけど、それはひとつひとつ私が自分から、自分の人生から逃げなかった結果が恵まれた人生と思える自分です。
私は、またひとつの体現性にある。誰かにとってのツインレイであり、誰かにとっての私です。
私の決断は彼らの決断のひとつでもあります。そして、その決意を私自身が体現しながら『彼ら』の後押しをしたいと思っています。
私はいつも『私』が決めている、その決意はいつだってみんなの本心と共にあることを私は受け入れます。
受け入れて尚、私は自立します。
いつもありがとう。私に多くのことを教えてくれた「みんな」とは、私が知っている無意識の集合体である父である。
私は自己分離世界の結論を、
自己分離世界と自己統合世界は、私の精神世界に両立し存在し、また、このふたつの世界観を『秩序・倫理』により維持したいと思っている。この秩序が私のなかで守られ続けている限り、自己分離世界は自己統合世界を迫害することはないということだ。引用:サイレント期間の開始から終わりまでのツインレイ男女による精神の相関性
というカタチで共存させるつもりでした。
しかし、それは無理であることを理解しました。そして、自己分離世界は『父の世界』です。
私はそろそろ父から卒業をしたいと思っています。父の生み出した世界の構造を脱し、私は父と対等の立場に立って尚、私は自らの集合的無意識を創造し、繋げたいと思う人だけを繋げていこうとも思っています。
私は「みんな」とはもう繋がれません、お父ちゃんという集合無意識とは決別をし、私は自立をしたいのです。
今まで、お父ちゃんと繋がれていることで、私は『愛されている』という感覚を覚えていました。守られている、だからこそ、私は自分を振り返ることなく、人を守る、人を大切にする、自分のこと以上に、自分が傷つくことも恐れることなく生きることが出来ました。
それはお父ちゃんという父が存在しているからこそ、私は『無防備でいられた』のです。
だけどもう子供じゃない。
自分のことを自分で守り、そして同じように他者を守るような存在へとなっていくことにします。
これは私が知っている『お父ちゃんの背中』であり、私が思う『大人の魂の在り方』です。
父であるお父ちゃんは、ひとりで魂を生み出している。ひとりの男神により生みだす魂は『アダムとイブ』というようなカタチでしかありません。
それはひとつの魂を分離させることです。そうやって『男女』を生み出すことによる魂がツインレイです。
私たちツインレイは父が独り神として魂を生み続けているからこそ生み出された存在です。
しかし、私と彼はそれぞれ『男女』として魂を成立させることにしました。だから私と彼は対等な関係性です。
それはアダムとリリスのような関係性であり、イザナミとイザナギのような関係です。最後にはさよならをすることになった別れのような関係です。
だけど、元来、ナギナミもそうだったように魂は兄妹。
しかし、ナギナミが離別することになったのは、世界観の違いや空間の違いによる問題です。そしてナミが負担を抱えたことは『生み続けること』です。
私たちはツインレイとして『どうあるべきなのか』についてを考えなければなりませんでした。
私たちは経験をし、なお、新しい結論を出していかなければなりません。
まずは『お父ちゃんから自立する』ことです。私は、お父ちゃんの無意識領域から自立します。
ゆえに、私は多くの人と連動することはなくなります。彼のことを他者から知ることは出来なくなります。
私が私の世界でいっしょに共存していこうと思う人と新しい創造をしていこうと思っています。
まずは『彼と』です。私にとっての未知となる彼と。
このツインレイのステージは、私と彼の『魂としての巣立ち』であり『自立』です。
父に最後にさよならを告げることはしません。さよならではないからです。私たちが自立することはさよならではないためです。
お父ちゃんからの卒業です。
お父ちゃんがいかに世界を創造したのかをたんまりと教えられました。もう、大丈夫だと思います。いっぱいお勉強しました。
自分の世界をちゃんと創造できると思います。あとはやるだけです。
おとうちゃん、ありがとう。
私にとっても自立は「お父ちゃんとは違うことをする」わけではありません。反発ではありません。
お父ちゃんがしてきたことをすべて受け入れ、そのうえで「新しい創造をする」ことです。
そっくりそのままのコピーでもないし、きっと私のオリジナルを加えています。
私にとってのお父ちゃんからの自立は、お父ちゃんの意志を引き継ぐことでもあります。次にいかに創造するのか——。
それが私の自立です。