『神』と『加美』の意味と『天神』と『女加美』の意味
日立神社を日竝神社となりました。
ふたつの命が成立し、そのうえに日天神の座席を生み出した。
これにてようやく『日』という神を『ふたり』で担うことができる。
従来の世を独神により管理していたが、新しい世では二神により、ひとつの神の役割を担うことになる。
ひとりが『神』であり、ひとりが『加美』である。どちらも神である。
男神は『天』であり、女神は『女』である。
夫は天を突き抜けるが、神にもなれば、あんたが一番だよってことで夫は『天』になる。最上である。
女神は『妻』にもならない。女である。妻は母にもなり替わることがある。だけど、女は女、それ以外の代名詞などいらぬとのこと。
あたいは『日』というみんなの『心』を管理する座席に座るけど、ほかにも多くの神による座席をふたりでになっていくことになる。
これにより多くの神が生まれ、益々の反映が望めるということだ。そのために神社の鳥居をふたたび立てる。まずは日竝から。それはやっぱり一番だからなのだと思う。
神が母体となる神示となる。加美のほうはひとつ下に入り『加える美しさ』である。
美しいという文字は神に捧げる大きな羊だという。そもそもこの字の成りたちの意味が違う。
『美』とは貝殻だ。あの可愛いトゲトゲしている巻貝のことだ、骨貝のこと。
よく耳に貝をあてると『海の音が聞こえる』というが、実際は聞こえない。だけど、そんな気がする。そんな気がする音を理論で壊してしまえば、そこには情緒がないってことになる。
いわゆる美しさとは『そんな気がする』っていう感覚のことだ。そのなんとなく、とか。だけど、あのときの海のさざなみを覚えていてほしいと思っている。
美しいとは『なんとなくそんな気がする』という『感覚』だ。それがこの世の『骨』となる。
なんとなく、このほうがみんな幸せじゃない?
なんとなく、このほうがみんなが豊かになる気がする。
なんとなく、これはさびしい気がする。なんとなく、これは嬉しい。
こうやって私たちはニコッて笑っていたかった。そこには心があるからだ。
だけど、私たちはその『なんとなく』をマイナスのほうにも使ってきていた。
思い込みや妄想というカタチで。ツインレイの相手を誤解していくのも、なんとなくという思い込みや妄想だ。
そうやって私たちはマイナスなほうに『加えてきた』のである、美しさを。
だけど、これからは『なんとなく』っていうのをプラスのほうに切り替えていく。それがこの『美』という字にある。
そして、正しい神である男神である天を支えていくことになる。
これからの男女も同じである。あたいの世では、夫を支える『なんとなく』を持っている女性を育てていきたいと思っている。
心のある世界を生み出すために、まずは女性が『なんとなく』をプラスのほうに感じ取ることができる女性を。
そして、その『なんとなく』に耳を傾ける夫を。
そのほうが幸せだからだ。