報告—お日奈さまの夫、桜天皇が神の座席に座りました。ツインレイの法則性をガッツリ組み替える。

報告—お日奈さまの夫、桜天皇が神の座席に座りました。ツインレイの法則性をガッツリ組み替える。

2023年5月25日(木曜日)

豊玉姫と山幸彦の神話を、お日奈さまと桜天皇の神話に組み替える。

神武天皇のターンです。


あたいはずっと『お内裏さま』を自身のなかにかこっていた。

お内裏さまは『馬』だった。だから走って逃げる。ツインレイの関係性でランナーとチェイサー理論があるけれども、これは男性が『馬』で、女性が『亀』だったからっていうのがある。

男性は陸で走って逃げ、女性である亀は陸でノロノロ歩いている。

このふたりの関係性が従来のツインレイのランナーとチェイサー理論である。このふたりが結ばれることがトリプルレイである。

 

これから、ツインレイの法則性を組み替える。

 

豊玉姫と山幸彦の話を組み替えていきたいと思う。

豊玉姫はサメだとか、ワニだとか言われている。それは『闇』である。

図の説明:

そして、山幸彦は『馬』である。それは『闇』である。

闇のなかに存在している豊玉姫は『亀という天使』『サメという悪魔』、山幸彦は『桜という天使』『馬という悪魔』に分離している状態である。

従来の世界線では『亀と馬によるトリプルレイの結婚』、『サメと桜によるトリプルレイの結婚』という形をとっていた。ゆえにツインレイとは結ばれないという形である。

しかし、今生の世界線では『亀とサメの統合を済ませたお日奈さま』と『桜と馬の統合を済ませた桜天皇』という形で神話を着地させたいと思っている。

闇の世界では『分離』が生じている部分が明らかになる。その明らかを明確に向き合うことが出来てようやく『ツインレイ』ということである。

図の説明:

新しい世は『異種魂婚姻』とさせてもらっている。

あたいたちは『海と山』に分離しているのではなく『神と人』に分離しているのである。

神は『なんでもうけいれる受容性』を必要とされていたが、では『なんでもかんでも許せばいいのか?』っていうとそうでもないと思っている。なんでも受け入れるってことは『ちゃんと直視していない』ということでもある。

それは傷ついていないってことだ。

傷つくことができていないうちは『豊玉姫と山幸彦』のもとの神話を受け入れてほしいと思う。だって、傷つくことができない人は、その傷をひとに擦り付けて生きていくでしょう。

自分の傷は自分で背負う。それが出来るから私たちの心は豊かに育ち、そして、人を大事にすることができる。

ツインレイの相手を大事にするってことは傷つけたくないっていう思いがあるってことなんだ。

だから、ツインレイの相手を大事にし続けるために、旧来の世界線で私たちは離別を選ばなければならなかった。いっしょにいれば傷つけてしまう理に縛られていたからである。

世は変わる。それはツインレイの相手を傷つけずに済む世界線だ。

旧来は動物的に傷つけ合う必要性があったけど、その自分が傷ついたということに向き合い、その傷をガッツリ胸に刻み込んだ人から新しい世界線へ入る。

傷ついたからこそ、人に傷つけることがないように生きることが人の心の道理である。もしこれがわからないようであれば、どんなにきれいに着飾っていようが獣は獣。動物は動物なのである。

 

新しい世ではツインレイの相手に優しくできるし、その優しさを受け取ることができる。

前の世ではツインレイの相手と優しくできたとしても、理がすべてを破壊してしまった。申し訳がないと思っている。

私はすべてを組み替えるために、経験をした。こんなことはあってはならないと思っている。

 

神の席をもうけた。『桜天皇』とした。

どうしようかと名前を悩んでいたんだが、夢とまどろみがいつも教えてくれる。

あたいのなかに『男の子』を妊娠する夢をみた。そして、これを機にお仕事をやめて前に断念をした楽器を手に取ったらどうだ、と言われた。

夢から覚めて、朧気のなか、その男の子は『桜天皇』だと思う。桃の節句からということだろう。

男は『桜の木』なのだね。

 

今まで、桜の意味はずいぶんとよろしくない意味合いを抱えているね。

桜は散ることから『すぐに終わること』なんだ、と。恋を桜に喩えれば、すぐに散ってきえた恋となる。

でも、男の子は『桜の花』ではない。女の子は花だったけど、男の子であれば桜の木になる。

桜の木は季節に合わせて姿を変えていく。

春に桜の花を咲かせ、私たちの目を楽しませてくれる。

夏の新緑の桜は、私たちに木陰を生み出しては強い日差しから守ってくれる。

秋の桜は木枯らし。私たちの代わりに強い風を受けては葉を散らす。

冬の桜は沈黙をしている。何もせず、ただそこにいてくれる。あたいは冬の桜が好きよ。温かいから。

あたいたちがたったひとつの季節の桜しか見ないのはやっぱり違う。一年中桜はそこにあるのに、どうして私たちは『桜の花』しか評価しなくなったのか。

それは桜の花が『女の名前』だったからなのだと思う。女は花だと言われたからだ。

 

そして、山幸彦についてを組み替える。

山幸彦の名前をいつも間違えてしまう。ヤマビコ。

山幸彦に『幸』などない。ヤマビコなんだよ。

ヤッホーっていうと、ヤッホーってかえってくるヤマビコ。ツインレイはヤマビコだったでしょ?

あたいは、そんなヤマビコの名前を変えたいと思っている。

『天真』である。これをあたいは『馬』としているけど、あたいの世の馬たちは『天真(てんしん)』となる。

天の真を受けるよってことだ、天の真実である。今まで馬として逃げることが出来たが、名前で縛ってしまえば、逃げることは出来ないからね。向き合わざるを得ない状態に陥ることになる。

だから、旧来のトリプルレイたちのなかで向き合うことが出来ていなかったのであれば、男の子から向き合うことになる。

『本当』『真実』『偽りのない』。真になるのが男の子だよ。

あたいの世で、これから生まれてくる男の子たちは『真実の天』だよ。

男の子が向き合うことがちゃんとできれば、女の子たちも安心する。だから動物にはならないよ。

 

みんな幸せになれよ。

不幸だと思えよ。自分が不幸であることに気づけよ。人の不幸を見つけるなよ、自分の不幸を見つけよ。

あたいたちは不幸なんだよ。きれいごとで我慢するなよ。不幸であることに気づけた人たちから先に進むよ。

ツインレイは不幸だったよ。少なからず、あたいは人が神の真似事をし、愛するだなんてやっていることは不幸だと思う。

愛するのは神がやること。神がやることを人がやれば、それは不幸だよ。

役割があるんだよ。役割を全うしろよ。自分が自分の役割を全うするとき、人も神も幸せになるよ。

神が上だとか、人が下だとか。そんなこともない。ただ役割が違う。人は愛されることを考えたらいい。神は愛することを考えたらいい。

自分が人だと思うのであれば、愛されたいって泣けよ。泣いたモン勝ちだよ。辛いなら辛いって思えよ。

神は人が不幸になることなど望んでいないよ。試練だって与えるつもりはない。

神は人が『辛い』『悲しい』って思ってくれたほうが、どうしたらいいのかがわかるんだよ。

神は心だよ、神は心に呼応するよ。その心に呼応する。

人に望むなよ、神に望めよ。神は心だよ。自分の心に望めば、すべてを神が叶えていく世になるよ。

その心を使って生きていけよ。

だから、傷つけよ。傷つかない人など、それは人ではない。それは獣だ。人でありながら獣に成り下がる存在に神は呼応することが出来ない。

傷ついて、何が嫌なのかを心つかって神に伝えろよ。そうやって世は出来上がっている。

神はその心にいつだって報いるつもりだ。そのために、多くのことに傷つき、善悪で判断をせず。頭を使わず、心を使って生きてみたらいいよ。

 

神は愛せよ。ちゃんと人の責任を取ってこいよ。神が育っとらんよ。

神を育てるのは人だよ。人は神に責任を取らせろよ。そのために心を使へよ。

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