理の改正—女性の不幸を幸福へ変更・力の世から心の世への変更。
今回は『人のものを奪う(浮気・不倫)』とか『嫉妬』、女性の不幸の根源となっている理の改正。
『正義による力の世』から『正義による心の世』への理の改正。
光のお役目の方、影のお役目の方。
決断をありがとう、お疲れさまでした。
日立知
神になりたくない。だって神は犠牲者だよ。そんなのやりたい人いるの?
去年の私は『神にならないように駄々をこねる』人だった。やりたくなかった。本当はやりたくなかった。
でもやらなければならなかった。
人のうえに立つということは、誰からも優位であることではない。誰よりも劣位になることである。
私は人のうえに立つことにより多くの責任をとることになる。私が権利を持つことはやはり怖い。責任が伴う。
前の世ではいうことをきかないやつは武力を行使すればいい力の世だった。次の世となる私の世は力で人を御したいわけじゃない。
だから神人っていう分野は『神でもあり、人でもある』っていうカタチがとれる。
世に天下る神も、神ではなく人として生きることで、人と対等に関わることができる。
理の改正とは
私は、次の三千年の歴史を担当する日立知となった。私自身が平定を行うために必要なことは、今までの理を次の理に組み替えることである。
そして、その理の組み換えを『日立知が認識する』ということで、ようやく理の変更が行われる。ゆえに、私のところに人が集まって自分が何をしたのかについてを話していくのは『理の変更の許可』を私がだしているということ。
私が絶対的な権利を持っている。
そして、私が『それは変更をしない』と思うとき、新しい世にその理の変更はない。(つまり理の変更をする努力を誰かがしたとしても、私が認知することがなかったら新しい世には適応されないよって感じ。前の世ならばアマテラスの役職だけど、アマテラスさんと人は関わることがなかったでしょ。新しい世は私が神人としてここにいるからここに問題があるから直してほしいって直訴すればそれなりに対処はするけども、そこに心が伴わない思想ならば私はそれを手に取ることがないよって感じ。いわば、マウント思想とか、差別思想とかは排除していく。前の世はマウントと差別のオンパレード。次の世は優劣はどちらもない世、幸せ、幸せの世にしたい。力ではない、心の世。)
つまり私がルール、そして法則。日立知が持っている権利はそんなところ。いわば、私が『絶対』ということだ。
私の管理下にはいる人員はそんなに多くはいない。私が持つ理の世界へくる人もいるんだろうし、こない人もいる。割合は日月に書いてあった気がしたが数字を忘れてしまった。一割か、三割程度の魂なんじゃないかと思っている。(あたいもそんなに力量今、ないしね。そもそも信仰あってこそ、力量が増すんだが、あたいはそもそも認知度低いままいくんじゃないかな。あたいの世を信じてくれる人はあたいの世にくるよ。)
そして、そんな理とは記紀神話にある。日本の神話にある物語は理である。その理を組み替えたいのは、多くの人の念願だった。
先ず、ツインレイの理の根源となっている『男女の関係性』に深く関係性ているのが『神武天皇』の神話の付近である。
私自身は『タマヨリ』の体現性にあるけど、人が男女の関係性を構築するときの多くの不幸はここにあり、この不幸を『理の組み換え』を行わなければならなかった。
ほかにも、神武天皇は『神の武力に依存した神から人になった人』なんだが、日立知は『神の心に依存した人から神になった神人』である。神武天皇はくだりだが、私はのぼり。
日立知が神社を創立する理由は『人から神になった神人』ゆえに、神社を建設している。
女性の不幸の理の改正
神武天皇の話に触れる。
神武天皇は、即位する前にご実家に『妻』がいた。そして、即位した後『後妻が本妻』となっている。
地位の為に必要な後妻を迎え、本妻としているのである。そして、前妻である妻は置いてけぼりというような状態だった。
果て。ここにまずひとつの人が持つ理が生まれてしまった。
『ほかの女性が許せない』という女性特有の心である。独占欲とかとも言うし、なんていうのかな。嫉妬とも言える。
そんな心理を持っている。
神武天皇の後妻と本妻の争いが実は先日終わった。ゆえにこの報告書を書いている。
神武天皇の妻は、後妻となることになった。神話の持っている悲しみや怒り、そして嫉妬心を体現しているがゆえ、大奥のような争いが生じていた。神武天皇のいないところで妻たちが争う姿である。
ちなみに、新しい世では『男女の役割は反転している』。
神武天皇は女性だし、後妻と本妻は男性である。
前世の神話の姿をそっくりそのまま、異性の性別で体現することで、男女の持つ気質を統合させることを行っている。
これからの新しい世の人類は『男女の両方の気質』を持っている状態となる。そもそも反転してしまっていた気質を正しい形に戻すだけでもある。
夫婦関係のツインレイの改正案件
私はタマヨリの役割である。夫婦の関係性は『母と子』の関係性が一番しっくりとくるだろう。
夫が妻を『お母さん』と呼ぶ。これが前の世では普通の世界観ではなかっただろうか。私はこれを『男と女』という対等性にしたいと思っている。
タマヨリは夫であるウガヤフキアエズを子供のときから世話をし、大人になって夫としている。
タマヨリが行ったことは、夫を育てることである。このとき、タマヨリは妻でもあるが夫の母である。
これが『夫婦』の理である。
この親子関係が生じているために『夫婦関係は親子関係』でなければ成立しなかった。その成立を『男と女』として組み替える必要性があった。
私はツインレイの彼の母になるつもりはなかった。彼と対等の男女となりたかったし、彼も『一人前』にこだわっていた。
私に叶わないことが許せないのである。
この夫婦関係をなんとか終わらせていく形にし、新しい世では『子供にとっては母』であったとしても『夫にとっては妻』である形になるようにしていきたいと思っている。
前の世では『子供同士』であったり『男女同士』である関係性は破綻するようになっている。恋を選んでも結ばれない。そんな不自由さがここにはある。
だから女性は強くなった、男性を見下しもするようになった。
しかし、理は『男性が上』としている。なぜならば、男は育てるものだから上に据えてあげていけということだ。
それができない女は女として認められないということでもある。
夫婦という関係性のツインレイを持とうとしているツインレイたちは、まだ夫婦になれないと思う。
なぜならば、私がまだ夫婦として成立していないから。理を組み替える担当者が成立させていないことは他の人は抗いようがない。だってそれが『理』だから。
私は道理があとほしい。道理の神ってのを私は手に入れたいと思っている。
私はまだ『正義』というタケイカヅチノカミの心しか持っていない。
私は新しい世で、心を主体とした『理義』の世界を構築する。
神武天皇の世は、力を主体とした理義の世界だったね。
私は神としてまだ完成していない。