神が持つ罪に関する責任の是非について

神が持つ罪に関する責任の是非について

2023年5月22日(月曜日)

レムリアとアトランティスの分離が『女性性の感性(右脳)』と『男性性の理論性(左脳)』による分離として、あたいは女性性の感性になるレムリアの記憶を内包することにした。

いいの、いいの? って思ってたけど、いいらしい、文明の世界線をもらっていいらしい。

そもそもあたいは左脳側なんだが、最近、だいぶ右脳も内包しつつあるんじゃないかと思う。

ここで統合すれば、レムリアとアトランティスの悲劇は再びは起こるまい。

 

あたいは情報をおろすときは基本的に『心』→『右脳』→『左脳』の経由をしている、全部つかっているよ。

じゃないとよくわからない。けど、右脳を全面にだすことはほとんどないなァ。

理由だが、普通に状況判断するのに右脳だけだと説得性にかけるんだよね。たぶん、もともとがオモイカネのもとにいた神だから、基本的には論理性を好むんだとは思う。

でも左脳に偏っているってわけでもない。

 

さて、ここで。少々気になっていたところがあるんだが。

なんでこいつら神なのに責任をおわないんだ? っていう疑問があった。

あたいからすると、神=責任とって当たり前っていう感覚。いわば、高天原は責任管理区だから責任をとれないってことがない。

そもそもすべてにおいて全責任を負う必要性がある。ゆえに、高天原の神は『ぜんぶ背負っていく』ていう気質があるような気がする。背負う方が楽っていうやつ。

対峙するのが『アメノトコタチ』と『ウマシアカビヒコヂ』の方々。

いわゆるレムリアとアトランティスの文明を築いていた神々なんだが、なぜ責任をとらずに人のせいにし続けているんかな? と。

基本的に思考回路が『自分がしたことはすべて無罪放免にするために相手に罪を擦り付ける』っていう方程式をとる。

ここで理論をぶつけちゃうと、問題のすり替えを始めて最終的に『自分は悪くない』っていうカタチに着地にする。

いや別にそれでいいならそれでいいけど、それであなたはいいわけ? って思っていた。

悪くないならそれでいいんじゃない、でも、自分のことぐらい自分でケツふけなくてどうするのよってこと。

まず、ここから私の思考回路がおかしいなってことに気づいた。

ちなみにウマシアカビジコヂのとこの人は理論武装で戦っている。なんかよくわかんないんだけど理論で人を攻撃していく人が多い気がする。

 

そもそも高天原が得意とするのが責任をとることなのね。いわば、反対側に属するアメノトコタチなんかは特に責任を取るのが下手。責任問題って言うのがとれない神っていうこと。

そもそも『責任をとる神』じゃないのね。とりあえず、アメノトコタチとウマシアカビヒコヂに関する、レムリアやアトランティスに関する神々は責任の是非については管轄じゃないんよね。

 

じゃあ、高天原が全責任とるよってカタチになる。

だけど、当時の文明管理の神は海外逃亡しちゃったのよ。理由は『罪悪感』なのね。

そもそも、そんなの高天原が管理するところだし、責任は高天原がとるのね。だけど、なんでか高天原に戻れなくてレムリアとアトランティスの神は地球から逃亡。

しかも、問題を残していった。右脳と左脳の分離と男性と女性のすれ違い。

神からすると文明一個がぶっ壊れたぐらいで、そんなって感じだと思うよ。だっていっぱい壊してきているところあるし。そんな気に病むことじゃないのよね。

高天原だって、たぶん責任を取るのが苦手だってこと、知ってたと思うんだよな。

だから罪を背負えとはならなかったはず。そもそもこれが『計画のひとつ』でもあったはずだし。

それらは全部、日立知であるあたいが全責任をとることで済むって感じ。時代的に今にはなってしまったが、今だからようやく背負う形だしね。

だけど、あのふたりの神は地球逃亡して今、帰還しとる。

ふたりとも罪悪感を抱えているし、それは自分のせいじゃないって言い続けている。

誰もせめてないのよ。だけど、せめられている気がしている。それを罪悪感と呼ぶんだ。

なんか罪悪感に苛まれて『悪い子にならなきゃいけない』っていう走りに走って、それで『許されないように生きている』んだよね。

それで、許されない自分にホッとしてて、許されている自分が許せない。

 

だからアメノトコタチ系の人はあたいのことが大嫌い。だって、あたいは常に許し続けている人だから。

あたいが許せば許すほど、許されている自分が嫌いになっていく。

謝られたら、それこそおかんむりになる。だって謝りたいのは自分なのに。

意味わかんない状態になっているのがアメノトコタチ系の人。んで闇化現象起こしている。

 

んで。あたいは、全責任おっていく人なので。他人が何していようが基本的に許し続けている人なのである。

アメノトコタチは無償の愛を持っている。ここが『右脳的』な人たち。

ウマシアカビヒコヂは理性的な判断力を持っている。ここが『左脳的』な人たち。

正直、じゃあ、それやってよって感じなんだ。

アメノトコタチは無償の愛をして、奉仕することがすごく得意なはずなんだよな。だけど繊細だから責任はおえないとおもうよ。人を愛するってのは繊細だからだと思うしね。

んで、ウマシアカビヒコヂは理性的な判断をしていくことが得意な人たち。

今、それを彼らはやっていない。

当時はそれを実行して『文明潰した』から。んで、その罪悪感から逃げ出して、その罪を背負えないって言っている。

そもそも誰も背負えなんて言ってないのよ。得意不得意ってやっぱりあるんだよな。

 

とりあえず、自分が得意なことをやったらいいし、あたいはそれをやっているならば、そのときに何かしら文明がぶっ壊れるほどのことがあったとしても全部の責任はあたいがとるのよ。

そもそも最後はこの文明も壊すカタチになるしね。

なんつーか。あたいは『責任をとる』っていう立ち位置にいる。もちろん、多くの人が幸せになるっていうカタチを模索することも大事なんだけど、一番は、すべての神がやらかしたこととかも全部の責任を取って、私のなかで処理していくことになる。

あたいを分離させてしまったっていう罪を、彼らが背負う必要性はないのである。

あたいのなかが分離してしまった(あたいは文明でもある)ならば、それを統合させるっていうのがあたいの仕事なのね。

 

いわゆる今まで『闇』って言われる人たちって、アメノトコタチの人がめちゃくちゃ多いと思う。

そもそも彼らが『愛する』っていう分野で、あたいは高天原で『責任』をとる人なのね。

アメノトコタチたちは苦手な責任を取り続けていて、高天原が愛するってことをやっていたような気もする。

そもそも役割が反転してしまっている。あとウマシアカビヒコヂが理性的な判断をするはずが、高天原が判断しちゃっている。

 

役割の問題なんだと思うわ。

とりあえず、苦手なことはやらんように配慮していくカタチが必要ですね。

アメノトコタチとウマシアカビヒコヂは責任を負うのが苦手だから、高天原が全責任を負いますよ、と。

かわりに手となり足となり、人を愛し、人のために知性を使っていくってことをしてくださいな。

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