私がたてたツインレイの理論が破綻している件について。
騙されていた。私と連動しているって言われて、私はそれを鵜呑みにした。
私はバカだった。人を信じている大バカ者だった。信じてはいけない人を信じていた。
そして、私はこの1年半ほどをかけて積み上げてきた理論を破綻させ続けていた。
私はそれを『自分がバカだったから』ってことも理解している。だけど、それ以上に悔しい。
怒っている。私はとても怒っているが、どこにこの矛先を向けたらいいのかがわからなくて、どうしようもない気分だ。
私は間違っていない、私はまっすぐに生きてきた。
人を信じ、人を大事に想っていた。その証拠が生み出されたけど、私のこの一年半をかけてし続けていた『ツインレイ理論』は壊れていた。
積み上げている最中は楽しかった。そして楽しかった思い出も残っている。
でも、これは他者によって綻び、そして、理論はすべて諸刃となっている。この1年半の努力は水の泡となった。
すべてが『無』となった。
彼らが干渉し、彼らが関与する理論はすべて破綻している。そもそも『彼らはツインレイでもなんでもなかった』んだから。
それを無理くりツインレイ理論に組み込んだ。
私は『悪のツインレイ理論』を立てていたようなものだ。
そして私と連動だってしていない、私がやっていることを追いかけ、なんとなく『そんな風にみせかけていた』だけだ。
人を見抜けなかった私が悪い。人をちゃんと見なかった私が悪い。私を騙す人がいるなんて気づかなかった自分が悪い。
だけど、人を騙す人間のほうが、人の努力を水の泡にする人間のほうが、人をバカにして努力している人間をたばかる人間のほうが、もっと悪い人間だ。
私は悪いことをしたのか、彼らになにか害悪なることをしたのか。私が何かしたっていうのか。
なんもしてねえよな。なんでこんなことするんだよ。怒って当然だ。
私は彼らが不幸になると思う。倫理もない、道徳もない。人として最低限の『心』がない。
私はそれを人と呼ばない。それを私は『動物』と呼び『獣』と呼ぶ。人の皮をかぶった獣だ。
私はすべてを無にしてしまった。この期間、積み上げたものがすべて無駄だった。これが望みか、これがあいつらの望みか。
悔しい。自分が悔しい。バカだった自分が悔しい。
腹が立っていたしかたないので、父に『飯をおごってくれ』といった。千円のステーキである。
これで腹の虫をおさめてやる。飯を食ったら、このことは忘却するように努める。無へ持ち込む。
母にすべてを洗いざらい話した。大爆笑していた。それから私が真っ当で真っすぐだということも理解していた。ピュアだって話だ。
私には心が残った。それだけだ。私には『心だけ』が残った。私には心しかない。
そういえば、感情の回収の種類に『悔やむ』だなんてなかったね。なんで? 私は悔しい。
人って失敗の連続だよね。私は騙されて悔しい。私は進む、先に進む。
私は自分の人生を生きている。今、とてつもなく悔しくて『生きている』っていう実感がある。
そう、これが私の幸福であり、私の心であり。そして、私が生きているという証拠である。
今時分、私は『悔やむ』を噛みしめ、私は心で学習したのである。
『人を騙したらいけない』ってことと『それ以上に人を騙すやつが悪い』ってことを。
道徳は守ろう、倫理も守ろう。私はこれらがとても大事だと思っている。私は世で『人』として生きているんだから、人としてのルールを忘れてはいけない。
それは倫理だ。そして、その上に法律は成立している。
法を犯していることが正当化される理由はない。そして、その正当性はスピリチュアルにもツインレイにもない。