ツインレイの『事実』というものだけを取り出す作業。ツインレイを忘れる。
出会ってすらない君が、どこかで生きている。それだけを私は知っている。
縁があった人がいた、それだけである。でも、その相手は今ここにいない。それがすべてであることを私は受け入れる。
彼と私のあいだに存在しているもの。それは『縁があった』ってだけである。
ネットで出会い、多くの言葉を私たちは交わし合っているけど、そこにある実態を認識しているわけではない。
私は言葉を信じすぎていた。その言葉に頼ったコミュニケーションになって、私たちは事実をないがしろにしすぎていたような気がする。
けっきょく、彼が「本当は誰なのか」ですら、私は知らない。
彼がもしかしたら嘘を吐いていたならば、私は彼の名前すら知らないことになる。それを確証として得られない。
人を言葉を信じることができた。それが私にとって最悪なる心の条件だった。
人の言葉を信じては尚、それを『知っている』と認識することはできない。経験があってこそである。
本当はどうなのかを私たちは知らない。本当は知らないのに、知っていると思い込んでいた。
私は彼のことが好きだった。だけど、その『好き』さえも意味がないものになってしまう。
これはもう過去形で、今はそれも『無』である。縁があったけど、その相手を好きになるといっても『どうして好きになるのか』の理由を言葉に依存させても、それは空虚に散るだけだ。
私たちはいっしょに経験をして、ようやくお互いを知っていけるんだと思う。人はみな同じだ。
だけど、彼と私はいっしょに何かの経験をしたわけじゃない。ただ『相手を知っているだけ』の知人に過ぎない。
知ってはいるけど、それは『知っている』にすら入らない。
当時、コロナがはやりはじめ、外出も遠出もできなかった。だけど、コロナのなか、会いに行けるほど社会の様子を無視した人にもなれないし、私もコロナで具合を悪くしていた。
できなかった。
私たちは縁を無駄にしたのである。このわずかな頼りになる縁を無駄にした。
私と彼は縁はあった。だけど何もなかった。付き合ってもいないし、結婚の話があったりもしたけど、それは事実が伴わなさすぎる。
お互いの不思議な経験も、お互いの関係性を強固に感じられたけど、それこそ信じてはならない運命と思う。
私は彼とのすべてを無に還す。
私は彼を知らない。ただ空虚な言葉を信じていただけ。
私が一人相撲し続けた経験は無駄じゃないけど、でも、それはやっぱり無駄だった。
私は彼を知らないことを受け入れる。何もなかったし、何も結果が生まれなかった。それはやっぱり何もなかったも同然である。
インターネットはそんな『知らないこと』を信じることができる幻想世界だ。心を育てることは出来るかもしれない。
だけど、それこそ、人を目の前にしてようやく活きるものである。そこにいない人に忠実であったとしても意味がない。
結果は伴わない。
出会ってすらない君が、どこかで生きている。それだけを私は知っている。
縁があった人がいた、それだけである。でも、その相手は今ここにいない。それがすべてであることを私は受け入れる。
色々アクションを試みたが、返事はなかった。
別れの言葉はいらないらしい、出会ってすらいないんだから別れようがない。