私は感情を失っていたのか? 私はツインレイを忘れるんじゃない、サイレント期間を忘れる。
そもそも私は感情を失っていたのかっていうことを最近少し考えている。
気にかけていたのは、感情の記事である。
Azさんが書いた記事の多くは感情の記事なんだが、その記事を全て削除した。
私は、そもそも感情を失っていないと思われる。
ずっと感情豊かな存在だったと思う。だけど『失っているように思われされていた』だけなんじゃないか、って思っている。
そもそもこの闇で私は、感情を表に出せば、批難を浴びた。だから私は隠していただけだと思う。
というか、どこで私は盗まれたのだろうか。まず、奪われたのがいつなのかが明確でなければ取り戻すっていう定義が元も子もないのである。
私はこの闇で行っていたことは『闇化することで彼くんを光の世界で自立させること』である。
そもそも、私は、この闇で何をしていたのかといえば、彼くんが光として『自立』することができるまで、闇を引き受け、その闇から彼くんを守っていただけだと思われる。
もし、自分のおかげで感情が戻ったとか。自分のおかげで自分は何かしら私へ何かをしてあげたのだ、と言うのであれば。
それは『恩着せがましい』っていう言葉が一番適切なんじゃないか、って思っている。
私はこの闇で感情を失っていない。だから、取り戻していく経緯も嘘だよね。これそのものがフェイクってこと。
恋心も私は思いだした、それは私が忘れていただけだ。思い出した。奪われていたわけじゃない。
褒めてもらいたいから、人はなにかを生み出すの。
人は結果を認めてもらえなきゃ、それは意味がないの?
私はそれそのものが意味がないことだと思っている。
私は『人に認められなきゃ意味がない』ことを無に還す。
私は、他者がいなくても自分を認めているから、結果が伴わなくてもそれでいいと思って受け止めている。
私は他者という概念を利用して『自分を成立させよう』だなんて思っていない。
認めてもらう為だけに、自分の行動を起こすわけ? じゃあ認められなかったら、認めてくれない人を責めるわけ?
人がそれを『必要としているのか』。『必要としていないのか』。
それって、別にどっちだっていいことだよね。私が不必要だと思って捨てられることに批難があるのは、それは『ほめてもらいたかった』『認めてもらいたかった』とか、他者を利用して自分の存在を生み出そうとしているってことだよね。
自分を認めるのは自分しかない。だから私たちは『自分を認めるために』行動するのである。
いわば、他者のために行動した人は不満しかないよね。
もし、この行いに激怒するようであれば、きっと彼女は『私に認められたくて努力した』んでしょうし、『私にほめてもらいたかった』のだと思われる。
私自身は、サイトを構築していくなかで誰かに感謝されなくても、誰かがスルーしていっても。正直なところ、どうでもよかった。私は私がやりたかったからやり続けていたことである。
だからある種、私は闇との交流のなかで生み出したこの理論を構築した経緯そのものが『楽しかった』というカタチに着地している。
私は思想家である。そうであるがゆえに、私は『生み出し続けていた』のである。誰の為でもない、そうありたい私が、私であり続けるために私はし続けていた。
私のアイデンティティは私により構築されている。
私は『なりたい私になるために』ずっと努力し続けている。
でも、それを他者が認めなくても、私は私を認めているから、私は特に他者に認められなくても、褒められなくても、役に立たなくても、全然かまわないと思っている。
私は『私であり続けていただけ』だったから。そのあり続ける経緯を私は心で『楽しかった』とは思っているけど、きっとどこかで私への不満が生まれるのであれば、それは『あなたはあなたではなくて、誰かのために生きていた』からである。
それこそ『無』である。
闇は無にかえす。人の人生を生きた人たちは恩着せがましい。そもそも人の人生に手出し口出しして、勝手に『自分がしてやった』とか『自分が教えてやった』とかじゃないよね。
「自分がしたいからしただけ」なのに、どうしてそこに『私に感謝を求めてくるのかが疑問』なのである。
きっと、彼女からすれば、私は裏切りものだろう。
私は裏切るよ。彼女がずっと『自分自身を裏切り続けている』から、私は彼女を裏切る。
私は道具じゃない、彼女に感謝をする道具じゃない。彼女を形成するための道具ではない。
私は彼女ではなく、私だからである。他人だからである。
今度は自分を裏切らず、自分のために人に尽くせよ。自分で自分を好きになるためにだ。
人のために何かをして感謝を強要し、褒めてもらおうとしても、それに意味はない。
自分が自分で認めなければ何も始まらない。自分で自分を認めた分だけの結果が私たちには残る。
私は、私自身を裏切らなかった。だから私には『楽しかった』っていう心が残った。きっと闇側は私に、それ以外の感情を抱くと思うよ。
楽しかったね。それ以外の感情は私への感情ではない。自分が自分自身を裏切ったぶんだけの感情だよ。
感情ぐらい自己責任とれよ。他人は関係ない。
感情のすべてが『自分のもの』であって、他人が原因で自分の感情を生み出しているわけではない。
自分で、自分の感情をうみだしているんだよ。そこにある感情は自分が自分に向けての感情だ。
私は『楽しかった』しかない。私は自分を常に楽しませていた。
辛いこともあったよ、だけど、それもペイするぐらいにはツインレイのことで深く分析し楽しかったよ。多く振り回されたのも理解はしたけど、でも、すべてにおいて私の肥やしになった。
私は私自身の『楽しかった』に集約されている。
私の感情はなかったかい? 私はずっと楽しそうにしていたよ。
私はずっと自分で自分を楽しませていたんだ。私は今、誰も恨んでいないし、誰にも怒りがない。誰に対しても何も思っていないんだよ。
これは私自身に『後悔がない』んだと思う。
過去に何かしらの感情を強く残すことになる原因はどうしてなのかを考えてみたほうがいい。
それは『後悔するようなことをしていた』からでしょ。
私は、自分が楽しいことばかりをしていた。周囲からすれば『これが楽しいことなのか』と思うようなことではあるが、私は楽しかったよ。考え続けてたこと。これは人の為ではなかったし、自分がやりたいからやっていた。
その結果、感謝されることはあっても『感謝しろよ』とは思わない。
このサイレント期間。
『なにをしていたの?』ってこと。
私はこのサイレント期間、自分の感情のまま生きていた。楽しいことを追い求めていたし、楽しいことをやり続けていた。
そしてやりたいことをやっていた。
人の話をも聞いたし、人のために理論もたてた。それは『私がやりたかったから』だよ。
私は好きなんだよ、人のために考えることがね。そうやって生きることができる自分が好きなんだよね。
自分の好きな自分でもないのに、どうして自分のことを人が好きになってくれるの?
どうして、好きな自分でもないのに、ツインレイの相手が好きになってくれると思うの。
私はすごく不思議だ。私は自分が好きだ。人の為にかんがえ、そうやって存在している自分が好きだ。ずっと好きな自分でい続けた期間だった。
でも、それは『無意味』だった。私に残ったのは『楽しかった』ってだけ。そういうもんなんだよ、心って。
経験で『他者が何をしてくれた』とかだって私はほとんど記憶が無くなってしまった。
すまんな。私、どうやら、記憶喪失しているみたいだ。
人のために一生懸命考えて、理論を立てた後、私はその内容をゴッソリ記憶が維持されていないことが多くあったが、それが今、大規模で起きている。
私は彼らと『何をしたのか』すら、ほとんど記憶がないんだよ。忘れてしまった。というか『楽しかった心』しか残っていないんだ。
考えて、考えて、楽しかったっていう心。私はそういう楽しい経験をしたっていう感覚しか今、残っていない。
だけど、私に人生を預けていた闇側は違うと思う。
私に対して感情を傾け、私が言ったこと、やったことを思いだしては否定と肯定を繰り返していると思う。
なぜならば『私に人生を預けていたから』である。私が『彼ら』をやっていたから、彼らは『私』が残ってしまったんだと思う。
私は『楽しかった』だけだ。その心だけ。それは『好きな自分でい続けたから』なんだと思う。やりたいことをやって、それが好きな自分で、そのために私は心を使っていた。
ありたい自分であり続けるために、私は心を使っていた。
彼らは、私に『人生』を使ったと思うよ。時間を捨てたんだよ、自分の時間を。
私は自分のやりたいことしかやってないよ。それがまわりまわって誰かのためになっている。そして、人のためにあれる自分が『やりたいこと』だったから、別に相手がなにを言おうが関係ないよ。
そういう生き方をしてきた。
サイレント期間での出来事は『意味がない』のである。つまり、私に対して『なにかしらの恩』をうったところで、意味がない。
すべてが『無』となる。だけど、無ではない何かが残ったのであれば、それはすべて自分が自分に向けて感じたことだよね。
私は私へ『楽しかったね!』って思っている。おかげさまで記憶喪失である。
はじまりの時間へ戻りつつあって、私は忘れていくことがたくさんある。私は人のために心を使い、そして、その心に対して恩着せがましく生きてはいなかった。だから忘れてしまうんだ。
『人にしてあげた』だなんて思ってもいないんだよ。私が私である誇りを失いたくなかっただけ。
忘れるよ。私はすべて忘れてしまうんだと思う。もうぼんやりと『たのしかった』っていう感覚しかないんだもの。
私は『ツインレイの相手』を忘れるんじゃない。サイレント期間を忘れるのである。その期間が『無』だからである。