二極化世界の『眠り続づける世界』と『目覚める世界』
何が正しかったのかを私はまだ理解することはない。だけど、ようやくこの二極化世界による結論を私なりに導き出すことが出来た。
眠り続ける世界を、砂漠をさまよいながら喉が枯れているのに気づかない人たち。
目覚める世界を、蜃気楼に惑わされず現実へ地に足をつけて生きている人たち。
私はずっと眠り続けている人たちに「水を飲め。」と一生懸命に問いかけていただけなのかもしれない。聞こえるはずもないのに。
彼らは私に睡眠薬を与え、眠れと子守歌を唄い続けていたようだ。現実を逃避させようと一生懸命に『向き合わせたくない現実』を与えられていた。
これを私は無駄なことだと認識した、いわば『無』である。
人の三位一体のなかに『無』というものを組み込んでいる私は、その無のなかに何を入れるのかによって人の人生は違ってくるのではないだろうかと考える。
その意識の違いが二種類になった。そして、その二種類になった分類により、見合う人たちと繋がっていくことを二極化世界として分離世界として比喩している。
目覚めようとしていた人たち——。否、目覚めの世界に住まう人たちはずっと『苦労を背負うこと』『辛いことを率先して行うこと』をし続けていた。
そして、眠りつづけようとしている人たちは。苦労を捨て、辛いことから目を背け続けていたようである。
ツインレイもそう。辛いことから目を背くための言い訳に使われていた。
このふたつが反転を起こし、目覚めの人たちは苦労や辛いことを終わらせ、自分らしく生きる道へ戻る。そして、眠っている人たちは今まで放棄してきた苦労や辛いことと向き合うような現状へとなっていくんだろう。
私は『私が努力してきたこと』を嫉妬により無にされていた。
嫉妬が悪いことなのか。それは人の経験をなかったことにするからである。
私たちは生まれたとき、赤ちゃんだった。赤ちゃんだったときから何でもできたわけじゃない。私たちはしっかりと今の生きようと、なにがしの努力を経験としてきた。しかし、嫉妬は努力をなかったにする。
そんな争いが生まれてきたけど、けっきょく、私はその努力の結果をこれから手に入れることができる状態となった。
私は何もしてこなかったわけじゃない、なんなら努力をしてきた。
その結果を受け取るときが来た。それだけの話なのかもしれない。
私は眠り続けている人たちを無にするけど、その無とは『認識しない』ということなのだと思う。
闇とは眠り続けたい人たち。眠り、ずっと楽に生きていきたいんだと思う。向き合いたくないんだと思う。それは自分の本心だ。
これから私たちの本心は赤裸々となる。
私たちの取り巻く環境のすべては心のままだ。心のまま、すべてが現実化していく。その結果という現実を受け取っていくときとなった。
これは遡ること、縄文時代と弥生時代の問題なのかな、とも思った。
弥生時代は卑弥呼がいる時代だ。
弥生時代に突入すると稲作を率先して行い、同時に稲作文化は人々にとって保存ができる安心を持つ代わりに安心のために戦が起きるようになった。そして奴隷制度もこのときに入り込んだ。
私自身が読んできた古事記の内容は、本来の日本の神話ではなく弥生人たちにより迫害されていく経緯の内容ではないだろうか。
いわば、豪族の話である。そして途中で書き替えられているのが古事記、日本書紀。縄文時代の人たちが構築した思想がこれなのかもしれない。
眠り続ける世界に属するのは弥生人たちの魂。目覚める世界に属するのは縄文人たちの魂。
じゃあ、神とは——。じゃあ、私たちは『何と繋がっているのか』。
そもそも意味がないな、と思った。私は神の声が聞こえるタイプではない。私が理解しているのは『心からでてくる言葉』しかわからない。それが自分自身が繋がっている先の根源からでてくるものだけど、それが誰なのかを私は知ることもない。
けっきょく、答えをもとめようとも、私はひとつも答えを導き出せないでいる。
その答えを求めだそうとしても、何もだせない経緯をたどってきた。このすべてを私は無駄だと考える。
だけど、その無駄な時間が私には必要だった。その無駄な時間を過ごすことが、私には必要な時間だったけど、その必要な時間を過ごすことがなかった人たちも多くいるんだと思う。
無駄だと言って、何もやらなかった人たちがいるのも確かなんだと思う。その無駄を手にせず、無駄な存在に成り下がっていく人たちを駱駝という動物になる。いわば、これが奴隷思想ではないだろうか。
なんだかやっぱり、ここまで思想を練っても、空っぽだ。
自分のなかが空っぽの感覚がしている。彼くんがすべてを引き取ったような気がする。
『できない』。思想が練り切れない、まわらない、頭が。興味が失われている。
私は何もできない存在になっていく。人からすれば、取るに足らないまるで意味のないミソッカスになる。
私が望んだことだが、少々寂しい感覚もする。