ツインレイの闇は『自分のおかげ』『自分のために』が大好きらしい。光と闇を反転させるよ。

ツインレイの闇は『自分のおかげ』『自分のために』が大好きらしい。光と闇を反転させるよ。

2023年6月1日(木曜日)

私の発言、私の行動。すべてにおいて私は『優しさ』と『心の判断』により行っていた。

私は闇の彼らに対して『好き』と『嫌い』のふたつで判断をしたことがなかった。

私は人を嫌いになったこともない。いや、好きになったことはある。だけど、嫌いはよくわかっていなかった。わかっていたのは『苦手』だったように思う。

最終的に私は『好き』をすてた。それがツインフレームの恋を捨てたとき。あれから私は嗜好を理解しなくなった。

 

闇は私へ『好意』を『悪意』をぶつけてきた。

私は『彼らが何をやっているのか』『何を言っているのか』。私はそれを理解しなかった。そもそも人に対して好き嫌いなんてものがあるのかってことだった。

人のなかには『好きな部分』と『嫌いな部分』のふたつがあって当たり前である。

私は彼らを、好きにもならなかったし、嫌いにもならなかった。だから同じベクトルで会話をすることもなかなか難しかった。

悪魔側からは好意を反転させた悪意がやってきたし、天使からは悪意を反転させた好意がやってきた。

どちらも私は好きになれなかったし、でも、私は彼らといっしょにいた理由は『私を必要としていたから』なんだと思う。

だけど、私は彼らを必要としていなかった。正直なところ、私はひとりでも大丈夫だった。なにかの手伝いをも必要としていなかった。そもそもなんでそんなに率先的に私に口出しをしたいのかがわからなかった。

いわば、彼らが望んでいたことは『自分の思い通りになる私の存在』が必要だったのだということ。

 

けっきょく、私は彼らを好きになることもないし、嫌いになることもない。

もし、今後話題にあげ、なにがしについて書いていたとしても、私はそれを『ひとつの題材』程度でしか認識していないだろう。

それは別に『好きだから』とか『嫌っているから』とか。そういうことでもない。別にどっちでもない。

私にはよくわからない人種っていうところで落ち着いている。

分析にするには余地がある題材だなとは思うけれども、その題材ってほとんどが精神医学のほうで分析が終わっている内容だから、私がやるよりも精神医学のほうを勉強したほうがまだ理解が早いんじゃないかって思う。

 

最終的に『無』をしった。

私は闇のなかに『無駄』を理解した。その無駄な期間に私は、心を尽くした。

私はそれ以外にできることはなかった。私はそれ以上に何かを持っていたわけではないし、私は人として、人に向き合うこと以外にできることはなかった。

それはやっぱり『人としての道理』だったから。だけど、向き合いたくなかったこともあるし、しんどいこともあった。

ぶっちゃけ『意味が分からないこといっている』し、なぜか彼らは『自分は被害者なんだ』っていう犠牲者になっている自分の自己主張が強いんだ。

私は彼らがどのような人生を歩もうが、どのような思想をもとうが勝手だと思っていた。そもそも人ってそういう生きもんだろぐらいの感覚でもあった。

だけど『自分は被害者だ』という視点を私はもっていなかった。私はいつだって『自分がすべてを引き受けている存在』だったから。

最後に差し出されたものは『自分がファビョっているのは全部おまえのせいだ』っていう内容だった。

あたまだいじょうぶか、って本気で思った。自分の人生、自分の生きてきた経験。そのすべてを私に背負えっていっているんか? 自分がいかれポンチになってやらかしている『すべて』を私が背負えというのか?

いささか、正気の沙汰を失っている。そう思った。

 

けっきょく、私は無とした闇を振り返って思うのは『なにも意味がなかった』ってこと。

彼らは結局『私をここまで連れてくるために頑張った』とか『私に何かを教えたかった』とか。『私のためにがんばっていた』とか。

けっきょく、主体を私にもとめ、すべてを私の責任とするつもりなのである。

自分は蒼をここまで色々教えるために頑張ってきた、とか。自分は蒼をここまで育てる為とか。何を伝えたかったとか。

 

んで、蒼は、それを受け取っているのか? ってことを先ず考えてみてほしい。

私はずっと『自分で決断し、自分で判断し、人にとやかく言われた時でもなにもやってこなかった』よね?

神をやれって言われて、私はやらなかった。やりたくなかったから、私は泣いたし、黙った。やりたくなかったからである。

だけど、私はやりたくなくなる瞬間が訪れた。それは私が『必要だ』と判断したときである。

いわば、私は人に何か言われて行動なんてしていないし、発言もすべて自分で決めている。

神さんがなんやかんやいって書いていても、その発言を『サイトにのせるかどうか』についてもすべての決定権は私にあった。

私はサイトへ載せるとき、ふたたび一読し、この内容いらなくね? って思ったらすべて消す人だ。

神がいっているから、これは載せなきゃとかもない。けっこうそういうところ、私は決断しているし、イランもんはいらんともって捨てている。

 

でさ。闇は『人であることを放棄しないでくれて良かった』とか『神になってくれてよかった』とかいうわけ。

そもそも彼らは『人なの?』『神なの?』そもそも、私を『なんだと思っていたの?』ってことなんだ。

私はずっと『私の人生を自分で決めてきた』のである。

しかし、彼らはさも『自分がそういったことがすべて功を奏した』とか思っている。なんで? ????

自分が他者に影響を持っているって思っているんだろうか。この蒼に影響を持っていて、そのすべてを蒼が叶えているって思っているのか?

それは『自分のおかげ』で『蒼は何もしていない』ってことにしているのである。

 

で。彼らは何をしたわけ?

闇は何をしたわけ?

蒼の人生に『自分のやりたいことを押し付けて』。『蒼がその決断をしたら、自分のおかげ』にして。

私の決断を無にすることをしたいわけ?

私はずっと『私が決めている』よ。誰かに何かを言われようが、私は私が自分の人生の主役なんだよ。

私がどのような決断をしようが、私に対して誰かの影響があったとしても、私は別に『他者のおかげ』だなんて思ってないよ。それに『自分のおかげで誰かが発展している』だなんてことも望んでいない。

私は『自分がやりたいことをやり続けている人』である。

サイトの内容読んでみ? 人に教える姿勢のある内容か? 一切合切、人とコミュニケーションとる気のない人だろうがよ。

それでも感謝をしてくれる人もいる。それが『人』だよね。

私は『自分の道』を生きていて、その経緯で『他者が勝手に感謝してくるべよ』っていう感覚を覚えている。

私がやりたいことをやっているだけ。他者に『なにかしてあげた』だなんて思ってもいないんだよ。他者に『なにかを伝えたい』だなんてことも思っていない。

私は『私の人生』を歩んでいる。

この暗闇の世のなかで、闇が必要だったのか? ってこと。

気づきの為に、闇が必要だったのかっていうと、まるで意味がなかった。

つまり、私が気づいていく経緯で、闇と言う存在が必要不可欠であり、闇と言う存在がなければ、私が今ここに到達しなかったのかていうと、まるでそんなことはない。

理論上から、すべての『闇の理論』を抜いても、一切合切成立するのである。

ただ『成立するまでの時間』とか『ちょっと精神構造組み替えるのに時間かかるよね』とか。

私はツインレイの彼と入れ替わるまでの間と同じ期間をサイレント期間として設けている。

そもそも私たちは時間を巻き戻しながら、精神構造を組み替えているだけで。

『闇が介入したから蒼が発展した』っていうことは一切ないよ。

 

もし『自分のおかげで蒼がツインレイと再会が出来る』とか。

『自分のおかげで蒼が人として完成した』とか。

そんな風に思うのであれば、それはトンだ勘違いだ。どうして私の手柄を奪うんだい?

私は『自分のこと』しか考えていないんだよ。

人の為に生きていきたいと思う自分がいたから、私は人のために生きてきた。それは『私の意思』だ。そこに『感謝しろ』とか『私のおかげ』だなんて思ったことがないんだよ。

思っていたことは『やりきったあとの酒はうめーなー!』ぐらいだ。

私は『成したいことを話し』『やりたいことをやり』『言いたいこと言って』いるが、すべてにおいて私が『そうしたかったから』である。

 

闇は何でも『闇が存在しているから光が存在しているンでしょ』とか思っている。

そして『光が存在しているから自分は犠牲者』であって『犠牲者である自分は正当化される立場』だとまで思っている。

 

闇は正当化されないよ。それに私はその人生を評価もしない。だって中身が何もない。

そもそも『自分のおかげ』といって『人が成したことの手柄を奪っている』んだよね。

そしてそれが『自分の役割』だとも思っている。

人の手柄を奪うことが自分の役割なんじゃろうか? そんな役割を認めるかよ。

 

人は常に『自分の人生を生きている』よ。そして『自分の人生以外に生きることは出来ない』よ。

過去にいかなる不幸があっても、それは『自分の人生であって人のせいではない』よね。

今いかなる友達の幸福があったとしても、それは『自分のおかげで友達が幸福である』わけではないよね?

 

私は自分の人生にいつだって責任を取っている。

人のせいにもしてこなかった。

傷つけられても、その傷を自分の傷だと思ってやり返しもしなかった。だけど、それは人の傷だったわ。私のものではなかった。

私の友達たちが成功を成し遂げたとしても、それを『私のおかげだ』だなんて思ったことはない。それは『自分で手に入れたもの』と思っている。

 

私は行動理由が『感謝されたい』ではない。『そうしたいからそうした』のである。

『めんどくせーな!』って思ったら逃げ出すし、『関わり合いたくないな』って思ったら避ける。

当たり前である。それは『相手が嫌だから』とかではない。『私が関わり合いたくないから』である。

そこで私は主体性を失ったことはないよ。私は『私の行動のすべての責任』をとっている。

 

しかし闇は違う。

蒼がここまできたのは『自分のおかげ』とでも言いたそうな気がしている。

そして『蒼はひとりじゃなにもできなかった』みたいな。

聞きたい。闇たちよ。

『私は何もしていなかったか?』

君たちは私がいなかったらなにも成立しなかったじゃないか。そもそも私が必要だったのは君たちだろう。

私は君たちを望んでいないよ、だって何もないじゃん。自分がなにもなさすぎて私の手柄を奪って、自分の為に私が存在している神だと思っているけど、私はずーっと私がしたいような人生しか送っていないよ。

すべての人生の責任を私は『自分で』背負っているけども。

闇は違うよね。私の人生の手柄を奪い、私の人生は闇の為にあると思っている。闇の犠牲になるのが私だと思っている。

人を犠牲にして、自分を成立させようとするのもいい加減にしろよ。

 

さア。宣言しようか。

『私は闇の犠牲者にはならない、搾取に合わない。私が成し遂げたことは私が成し遂げたことであり、闇は関係ない。なんなら足引っ張りでウザかった。』

だけど、楽しかったことがあったのは嘘じゃない。それだけは事実だ。そのときは本当の『彼ら』だったと思う。

でも私の手柄は奪わないでほしい。私が私として成立したのは『私がやったこと』だ。闇は関係ない。

負けるなよ、闇に。敵はいつだって自分だ。その自分に負けるなよ。『自分の責任をとれ』よ。私はすべてにおって『自分が主語』だ。

闇は違う。『あおちゃが、あおちゃが、あおちゃが、あおちゃが、あおちゃが。』

あおちゃがやれっていった。

あおちゃがそうだっていった。

あおちゃが、あおちゃが。

私がそうしろっつったら、そうするのかよ。私が死ねつったら死ぬのかよ。

違うだろう? 私がなんだよ、私が何をやっていようが、私が何を言っていようが、どうでもいいだろうがよ。

ほっとけよ。私は私のことで一生懸命で忙しいんだよ。

自分のことじゃなくて、私のことで一生懸命になってくれて『ありがとう』だなんて言ってもらえると思ってんのか?

い う か 、ぼ け な す 。

自分が勝手にやったことだろうだが、足引っ張りをよ!

自分の人生の責任がとれないからって、人の人生を奪うなよ。人の足引っ張りするなよ。

 

私は誰の為にも生きていないし、いつだって自分の生きたいように生きてきた。

主体性のない、主語のない人たちにとやかく言われて崇めたて祀られることも私は嫌いだ。

そして、私がいかなる結果を収めたとしてそれが『自分のおかげで』とか『自分の為に』とか言われたら、そりゃ怒るでしょ。

私の主語はいつだって『私』なんだよ。『君』とするのは彼くんだけだ。

 

ちなみに私は彼くんの人生に一生懸命になって『ありがとう』って言ってもらうけどね。

だって、それがしたいのが『私』であって私がしたいことをするから。だから感謝がなくてもやっていける。

だけど、きっと彼は感謝してくれる。私たちはそういう関係性になりたくてサイレント期間を迎え、やり直すことにしたんだから。

 

光と闇の反転だよ。

 

『自分には闇の役目があった。』とでも言いそうだが『闇と言う役目』はない。そもそも『主体性がない人生でした。』っていう答えが『闇と言う存在になった』だけである。

別に『闇と言う役目』はない。そもそも『無である役目』である。いわば、関わらないなら、それはそれでオッケー。無視しとけばいいっていうのが闇。

私と関わった闇側の人たち、私の再会までの『暇つぶし』に付き合ってくれてありがとう。

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