ようやくツインレイを諦める理論が成立しました。了

ようやくツインレイを諦める理論が成立しました。了

2023年6月11日(日曜日)

ツインレイに関するお問い合わせを最近はよくいただきますが、今後、私がツインレイに関してや理論に関しての返事を書くことはありません。

過ぎたことです。当サイトはすべて私にとっての、ツインレイへ失恋するまでの悪あがきです。

ツインレイの失恋を受け入れるための哲学を導き出し、これで満足です。

忘れたかった、諦めたかった。ただ、その理論が成立しなかった。

何度も失敗をした。繰り返し、諦め方を失敗しては、振出しに戻ってイチから思想の練り直しの連続の日々。

 

ツインレイへの失恋を当に理解していた。

だけど、それを受け入れるためにはどうしたらいいのかを私は、ホンの初手の失恋の仕方を知りませんでした。

感覚ですべてを処理することが出来ない、そんな私の性にある。

私は『ツインレイへの失恋の哲学』を導き出したかったようです。私は失恋を受け入れたくて足掻き続けていた。

それが私にとっては『空の哲学(元祖仏教)』にありました。

空にありました。とても近くにあったのに、どうして気づかなかったのでしょうか。それは空が遠くに或るものだとばかり思っていたからなんだろうね。

頭が固いとこういうことになるのですね。遠回りをかなりいたしました。

私はようやくツインレイに失恋をすることが出来ます。

本当の意味で、私は彼と離れることが出来ます。心残りがないのは、すべて全力投球で行ったからです。

 

私はツインレイの失敗をしました。その失敗を背負って生きていきます。

失敗をなかったことにすることはできません。

この事実を受け入れることだけが、私たちにとってなかなか難しいことです。それが知的生命体の宿痾ともいえるものなのだろうか。

私は変化を恐れることはありません。常に変化し続けていく私を楽しみたいと思います。

そもそも私は彼を失ってすらいません。彼は私のものですらなかったのですから。

失ったと思えば、それは『持っていた』ということである。だけど、彼は私のものではない。

それは『失う権利』さえ持っていないのだということ。

落胆する以前に、思想が狂っている。

 

けっきょく傲慢でした。

私には失恋をしたけど、失恋をする権利さえない。だって、失うだけの恋を私は持っていない。

あると思っていたら、そこには何もなかった。何もしなかった。

何もなかったのです。ツインレイを愛したことも、ツインレイに恋をしたことも。そこには何もなかったのです。

すべてが幻想でした。心地よい蜃気楼を見ていました。言葉は心地よい魔法でした。

 

私はツインレイに関することから離れます。いろんな最終的な結論があると思います。

私にとってツインレイは『空』でした。空っぽでした。何もありませんでした。

ないものをあると認識していました。だけど、ツインレイはいませんでした。そこにいたのが誰なのかすら私は知りません。

これがインターネットの魔法で、私たちが陥りやすい欲望の渦です。

 

私の最終結論は『ツインレイは存在しない』『ツインレイは空っぽ』ということです。

何もありません。そして、その何もないのがツインレイです。空っぽなのがツインレイです。

ですが、たしかにそこに『いたような気がする』のは、私たちは言葉にこだわりすぎているからです。

その言葉に結果は伴いましたか、実質的に結果がでたのかに気づかなければならない。

私たちは言葉ばかりを信じて、本当の結果という現実を見ていません。

だからこそ、私たちは『ツインレイを空っぽ』にしてしまったのです。その空っぽのツインレイに苦しんでいるのです。意味がありません、存在しないものに苦しんでいる。

 

ツインレイを空にしてしまったのが、私の問題であり。しかし、その経緯が私にとって善悪二元論からの脱出へとなりました。

必要な経緯です。理解するために足掻きました。

空を見上げてください。私たちはうつむき、液晶ばかりをのぞき込んでは『文字ばかりに意味を求めている』ところがある。

だけど意味がありません。文字に意味はありません。空に手が届かないように、文字に存在はありません。その文字の裏側に私たちは『心』を見つけるけど、でも、その心にも意味がありません。

けっきょく、実質が伴わないものに対して私たちは意味を持とうとしている知的生命体の宿痾を進んでいる。

愛などありません、恋もありません。

あるのは『行動』と『結果』だけです。

愛した行動と、その結果はあります。恋をした行動と、その結果はあります。残ります。

しかし、愛と恋という概念を言葉で語ることは出来ません。それは『空』です。空っぽで手にい入っていません。

手に入っていないものを『手に入っている』と思い込むことができるのが私たちの知性です。

その知性から抜け出していく必要性があります。

 

なにもありません。なにもないのに、そこにあると思っているものは『心』です。

心はありません。心はすべて行動に現れます。その行動をすべて見てほしい。その行動のすべてに私たちは心を投影することが出来る。

心を投影した行動こそが私たちのすべてです。そして結果です。

その結果を受け取って生きていくだけでいいのです。

だけどそれができないのが二元性の縛り、欲望が邪魔をする。

二元性のどちらからも脱却した場所に私たちは『空の道』を導き出すことができる。

 

ツインレイ。

それは、私たちに『善悪二元論からの脱却』をもたらし、そして空の世界へいざなってくれる存在。

しかし、ツインレイ。それそのものが空であること。空っぽであることを忘れてはならない。

空の世界がツインレイ。つまり、ツインレイが空っぽだからこそ、私たちは空の哲学を導き出すことができる。

 

最後の最後に私は『ツインレイ』を否定する。

ツインレイは空っぽである。何もない、そこにあるのは『空』である。意味もない、そして価値もない。

 

私はツインレイのことで言葉を尽くしましたが、なにひとつ行動をしていません。

彼に会いに行きませんでした。それが結果を生み出しました。私が心なかった証拠です。

不思議なこともありました。しかし彼はここにいません。それが事実です。

これが『空のツインレイ』です。

私は次にどうすればいいのかを導き出したかっただけです。次は失敗をしたくないからです。

だからこそ、私は反省し後悔をし。そして、事実を受け取って生きていきます。

彼は今ここにいない。それがゆるぎない事実です。

私が愛していると言葉にしたことも意味がありません。行動がないためです。

私は何をしていたのか。私は幻想のなかにいた。そして彷徨い続けていた。

 

この思想は、ツインレイを終わらせたい人のために必要な思想です。不毛な失恋を終わらせたいのに行き着かないとき、どうか空を見上げてください。

その空の向こう側にツインレイがいるのだと深く感じてみてください。

きっと、あなたを空にいざないます。この世は、そんな優しい世界です。

 

category萌ゆるゆる日記