そうだ、ツインレイなんだから幸せになろう。

2023年6月20日(火曜日)

私は思考のなかに陥る。ツインレイの彼もそうだ、思考のなかに陥る。

状況を先ず把握し、どうあるべきかを思考する。似ている、ツインレイだからっていうのかわからないけれど、私と彼は『考える人』としてとてもよく似ている。

だからお互いにとって最善を導くために、お互いよく考えていた。そして、自分なりに出来る限りで愛していた。

とても幸福なふたりだったと思う。人を愛することができる、それだけで幸せになれる最低限の条件がそろっている。

だけど、考えすぎてしまって。相手を想いすぎてしまうがあまりに、お互いがお互いをうまくまわしていくことが出来なくもなる。

いわば、ふたりの問題は考えすぎるところにあったように思う。お互い、難点も同じってことなんだろう。

 

自分に『許さない』とか『悪』とかを許せない。自身のなかに課している道徳を放棄することが出来ない。

だけど、ニーチェがいうようにやっぱりもう世に神はいない。許さなくていい、愛さなくていい。嫌なものは嫌でいい。道徳はあるようでないものである。それは空である。

そして、悪も排除してしまえば、そこにはないようなもの。私は倫理観がないわけではない、その倫理や道徳を超えたものを許さないでよい。

最後の最後に残ったのは『ツインレイの相手』である。そして、その相手を愛することが出来、存在を認識することができる私たちは、数限りあるカップルのなかでとても幸福なふたりだったんだろう。

彼も私も優しかった。自分でいうのもなんだが、とてもやさしい。だけど、優しくしなくていい相手もいる。許さないでいい相手もいる。

そして、自分の制限された小さな平和を生み出し、その平和のなかで生きていっていい。

 

彼は浮気をしない、知っている。

彼は私に金銭的に困らせることはしない、知っている。

彼は私を精いっぱい守るだろう、知っている。

私を困らせるようなことはしないし、何があってもいっしょにいてくれるだろう。

それが私のツインレイで、私にとって最上級に優しい人であって、それは私が他者に向けてどれだけ愛し、受け入れては優しくしてきたのかの数々でもある。

私の過去の積み重ねが彼を呼びだした。その結果、私も少々愛しすぎて犠牲者となる道がひどすぎたもので、お互いに鬼とか発生しては心の痛みを感じることもあった。

ただ、今ここに彼はいない。その事実を受け取りながらも、私は幸福である。

理由はわからない、ただ満たされている感覚を覚えている。私の器は心に満たされている。

 

幸せになる許可を自分に出すことが出来なかったのは、彼も私も同じなんじゃないかと思う。

そして、幸せになりたいとも思っていなかったのも事実。そもそも『幸せ』を知らない。面白いぐらいに人の幸福が自分の幸福だった。

だけど、もう自分の幸福を手に入れてもいい時がきた。それがツインレイ。

 

そうだ、幸せになろう。これが私の現実だ。

私は闇を許さない、許さない心を持って生きていこう。それが強い心だ。

地に足をつけ、たくましく生きていこう。

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