ツインレイを失敗した私の話と、最後の着地点『空の哲学』までの悟り経緯の話。とりま読んでけ・・・・。
6/10。この日、ひとつの区切りである。
サイレント期間へ突入するとき、私は『愛していたから離れた』。
彼に理解してほしい内容は『離れられた(ブロックされた)のは愛されていたからだ』という意味になってくる。
それが愛と捉えられなくてよかったと思っている。
相手からブロックされたり、相手に拒絶されたとき、それを『愛している』と捉えるのは、さすがに常軌を逸している。
私は彼が嫌いだった。それで違いない。私があのとき、愛していた理由は彼が嫌いだったからだ。
彼は私を傷つけていた。それは彼自身が傷ついていたからである。
未練がましく、彼が『傷つけた自覚もないから私を追いかけている』ってことはどうなんだろうか。
これは問題だと思う。彼は私を傷つけたことを理解している。
彼は私を傷つけるだけのことをし、私に嫌われていることも理解し、そして、彼はそのことを理解している。
だから今の状況は正解なのだと思う。私が彼を拒絶している。
けっきょく、私は何をしていたのか。
私は彼を追いかけ、彼は逃げ続けていたわけじゃない。
私は自分の本心を探し求めていた。彼は何をしているのかも知らない、だけど彼も本心を探していたんじゃないか。
本心を理解することが出来ていなかった私たちがいる。
世の多くの道理や道徳、倫理に縛られ、私たちは本心を失っていた。
彼は自分をまっすぐに生きる道を生きていた。
私は人を受け入れる道を生きていた。
けっきょく、男性性と女性性の真逆性に落ち着くんだろう。
このふたつが折り重ねられたとき、私たちはすれ違う。
彼は私を受け入れることが出来ない一人だけの道。
私はふたりで生きていたいと思っていたけど、でもそれが出来ないのが男性の道なのかもしれない。
当初、私たちは道徳や倫理に縛られたまま、本心を失ったまま関わってみたけど、やっぱりうまくいかなかったのは、愛とか。正義とか。道理とか。そういうものに縛られすぎて、心のままの人生を送ることが出来なかったことだ。
だけど、この愛や正義、道理という道徳性を失った状態で、もし私たちが出会ったところで、私たちは相手に気づくこともなかった。
なんなら、そのままツインレイの相手を『嫌い』と思って終わるだろう。嫌な相手だな、と思って関係性は進まない。
だから、これでよかったんだと思う。それなのに、本心は嫌いになって最後には離別をするような愛を選択するほどには思考が異常だったみたい。
正解は『嫌いになりたくなかった』んだと思う。これってもう、嫌いなんだケド。嫌いを否定してみなかったことにした。
だけど、私は彼を嫌いになりたくなくて、でも、どこも好きになれずに空中分解を起こしてトンでしまったのが私で、愛する以外にいっしょにいるためにどうしたらいいのかがわからなかった。
嫌いなのに嫌いになりたくない。だから愛した。
『嫌いなもの=愛』っていうわけじゃないみたい。
『嫌いになりたくない=愛』なんだと思う。
私は彼を嫌いになりたくなかった。だけど、嫌いになってしまいそうだった。だから離れたんだ。
私は彼が嫌いなわけじゃない。好きだったんだと思う、でも、嫌いになりそうで私が逃げ出した。愛というオブラートにつつんで嫌いを隠すために逃げ出した。
「嫌いになったわけじゃない。愛しているからだ。」
恥ずかしながらの盛大なる私の中身のない言い訳である。
この人間が持つ二極性の道を打破したい。それが空である。
このどちらをも選ばない道が『空』にある。
私は空を探していた。その空は『境界の向こう側』にあると思っていたけど、今は私のなかにある。
この空を手に入れれば、私は彼を『好き』『嫌い』という二元性の道から逃れるために『愛』を導き出すことも無くなる。
彼は空になった。どこにでもある空である。
この空を私たちは嫌いになることはないだろう。どこにでもある遠い宇宙へ繋がる空を、私は嫌いにも好きにもならない。
だけど、彼は空ではない。空は私のなかにある。
傷つけたくなかった。受け入れたかった。好きや嫌いで彼を傷つけたいわけじゃなかった。
だけど、どうがんばっても彼を傷つけてしまう結論がでてしまい、嘘を吐いた。それが愛である。盛大な嘘だ、それが愛だ。
私は愛していた。私にとっては優しい嘘だ。でも見抜かれていたと思う。その嘘を大事にしていたけど、もういらないんだなって思う。
私は彼を好きにも嫌いにもならない。だから愛する必要性もない。
私は彼の存在を、ただただ空として認識する。そこにあるのが当たり前のような世界へ、私は向かいあう。
ただ、彼の存在を認められなくて、私はあがいていたみたい。認めたいのにどうやったら認められるのがわからなくて。それが二元性の好きと嫌いに縛られていて、だから愛していたけど、それは苦し紛れの言い訳に過ぎなかった。
その言い訳を終わらせていく必要性があって。そして、最後の最後には『存在を認める』ことに意味がある。
今、彼は私にとってゼロの状態である。
言葉は、『行い』の原因になっている『欲望』を正当化することに一生懸命です。
それ故、人々は、言葉と、その(言葉の)裏側に潜んでいる『欲望』に拘っています。
私にとって『愛』という言葉は、彼を嫌いになりたくない欲望だったのかもしれない。
肯定も否定もしたくなくて、私は愛していた。
みんな、言葉ばかりを見つめています。現実を見ていません。『行い』を見ていません。
『意識知覚』は、心の中で眠っている様々な『欲望』を活性化させます。逆恨みなどのように、全く根拠のないところからも、『恨み』などを生じさせています。そして、その(活性化された)欲望は様々な『行い』を生じさせます。その『行い』は『結果』を生みます。
(中略)
安心する為だけに、或いは、満足する為だけに、彼らは、膨大な不毛の努力を繰り返しています。
現実は、ただ単に、言葉への拘りから離れたら済む話なのに。
(目の前の現実を構成している)原因と結果の因果関係を観察すれば済む話なのに。言葉が生み出す欲望に執着し、拘っているので、見当外れの(無駄な)努力を繰り返しています。
私がみてきたサイレント期間のことは、すべて引用先のページに凝縮されて書かれているから読んでみたらいいかもしれない。
天使と悪魔の話などは、ほとんどがここに凝縮されて哲学的に解説してくれている。
私は空を導き出すために『否定と肯定をしたくない』をしていた。つまり二元性の否定。
だけど、否定した用語が『愛』だった。その愛を持って、反転をするとそこに空が広がっている。
私はサイレント期間突入時に、愛しきり、そしてサイレント期間の多く出来事を持って『空』を導き出した。
ようやく新天地である。私の新しい世界だ。
私は『空』を導き出したくて、ずっと考え続けていたんだなァと思った。これは私が導き出すことが出来た結果だ。
このサイレント期間、空っぽの言葉をみてきた。実りのない、何も実績もない。
だけど、言葉をよく見てみれば、欲求しか詰め込まれていないのである。そして幻想だ。
私も同じ穴の狢である。
私はずっと、彼を『嫌いになりたくなかった(でも好きになれない)=愛(二元性を否定)』し続けていた。
これは強い葛藤を起こした。この葛藤を何とかしたかったんだろうな。
それだけだ。そして、最後『空』にした。ひっくり返した。愛の裏側には空が広がっていた。
愛の裏側には無限の空が広がっている。彼だ、私の空だ。
これは私のツインレイの関係性であって、ほかの人たちがどうなのかは知らないけれど。だけど、理解する範疇が壮大なる悟りだなと思う。
むだむだ、ツインレイの相手を求めて理論を立てようが、どんなに努力しようが。ここに彼はいない、それが事実だ。
その原因はどこにあるのか? 自分が突き放した。あのときに私は、あれ以外にどうしたらいいのかわからなかった。嫌いになりそうだったからだ。
だけど私が『空』をもっていたなら、きっと彼とうまくいったのかもしれないけど、さすがにそこまで悟りキメてないから出来なかった。ただ『嫌いにならないために愛という優しさを実行する』これが私の等身大の力量だった。
自分が無力だった、ツインレイの前で私は無力で、ただ早すぎた出会いとも言えるけど、ツインレイとの出会いがなければ、私はこの空を手に入れることが出来たんだろうか。
事実を受け入れていくことが大事だ。私はツインレイで失敗した。
どんなに理論を立てようが、私は失敗したのである。どんなに言葉で塗り固めようが、失敗した事実を受け入れられないでいるだけの私の虚言みたいなものだ。
人は失敗の中からしか学ぶことが出来ない。だから私は盛大にコケたわけだ。その泥沼のなかで私は失敗により『空』を理解した。
そんな自分を好きになれる私はずいぶんと今回の一件で、一回り大きな自分になれた。
努力をした。彼のせいにもしたくなかった。本当は言い訳をしたくなかったのに、ずっと言い訳をしていた。
ただ『自分の行い』を見つめればよかったのにツインレイという情報に振り回されて、私はここまで遠回りをしたわけだが、その経緯ででかい収穫物を得てきた。
精いっぱい頑張っていた自分がいる。一生懸命がんばった。諦めることなく、ただ一途でありたい自分がいた。自分の心に責任を取りたかった。とってあげたかった。
だけどもうそれも無意味であることも理解した。私は今、不幸である。
これ以上、不幸の上塗りをする必要性はないだろう。
嫌いになりたくなくて、愛していた。だから、愛しきって、私は空という空っぽを手に入れた。
ありがとう、私は悟ったよ・・・・・・。
マジで意味わかんない・・・・・・。
ツインレイって元祖仏教を導くための手段だったわけ・・・・・・? 思ってたのと違うわ・・・・・・。
もう彼は空ではない、だけど、私の空でいてくれてありがとう。私は愛でした。
ふたつを結んでいるのは『心』です。