『真実のツインレイ』が影により罪を押し付けられて再会ができていない件について。
今までのツインレイと、これからのツインレイについてである。
今までのツインレイは再会できていない。その理由は影により罪を押し付けられている状態があるからだ。
私はこの『本当にツインレイな人たち』を再会させたいと思っている。
天使と悪魔が和解をした。そんな話が小耳に入っている。
さて、この天使と悪魔は『共謀して実態を持つツインレイを潰している』状態である。和解ときくと聞こえはいいが、本質的には神を潰しにかかっている何かが協力し始めたってことだ。
天使は真実のツインレイに近寄り、ツインレイを惑わす係。そして悪魔は惑わされたツインレイを攻撃する係。
このふたりにより共謀され、真実のツインレイは天使と悪魔による罪を押し付けられている状態である。
いわば、真実のツインレイの『味方の振りをしているのが天使』である。そして、あなたの味方だと言っている。肯定をしてくる係である。その肯定を悪魔は聞いて、真実のツインレイを否定する。
この関係性は、天使と悪魔の共謀により完成し、真実のツインレイは『肯定』と『否定』のどちらをもの攻撃を受ける。
いわば、これはサンドバック状態になっているわけである。
肯定と否定の攻撃を受けると、人は混乱するのである。そして、肯定にすりよりたくなるわけだ。この結果、悪魔と天使のツインレイは真実のツインレイが持つ『実体』を奪うことに成功する。
天使へ自身の実体を差しだし、実体のツインレイによる『功績』をすべて奪う形に着地するだろう。
真実のツインレイとは、そこに『心が生まれて』の状態である。いわば、新しい神の誕生のようなものである。
ツインレイの相手からもらった心を持って、しっかりと根付くまで待っているのがツインレイである。しかし、真実のツインレイたちに天使と悪魔がよってきては『心をなかったことにする』のである。
いわば、そこに『心はない』と言う状態であり、心があるとした判断をツインレイが行うたびに否定をし、心を攻撃する。
そのような状態が続くことになる。
ツインレイに関する炎上なども、そのような問題がある。心があるものに対して悪魔と天使は近寄っては、その心の灯を消しにかかってきている。
そのような行いをしているが『天使と悪魔』であり、チャンスは『神の座席に座るまで』である。
神の座席に座っていくツインレイたちは三位一体構成を生み出していく。その経緯で『神の心』と繋がっていくことになる。
すると、神に照らされた『ツインレイ』は、ツインレイ自身が発光し始めるのである。いわば、背に日を背負うのではなく、自分自身が日となっていくわけだ。
そして、この日となった心となるまでに、天使と悪魔は『自分をツインレイへ売りこむ』ようなことを行っている。
天使も悪魔も『罪を背負っているから』である。
その罪をなかったことにするために、天使と悪魔はどちらもツインレイのもとへはいよってくる。
それがツインレイ自身が発光するまでに生じる『影』である。背に日を背負っているからこそ、生じる影である。
その影がふたつ生じるのは、それはツインレイが『ふたりにより構成されている』からである。そして、そのふたりは影として実体であるツインレイをいたぶり、心を壊していく作業を行っている。
さて。もし、途中で、ツインレイたちの心が折れてしまったならば、それはそれで天使と悪魔の成功である。
天使と悪魔は『パクり』である。実体のあるツインレイと同じことをしていれば『ツインレイになれる』と思って信じて疑わない。しかし、実体は実体、影は影。フェイクはフェイク。
本質的には『できていない』のである。しかし『真似し続ければ?』いかなることになるのか。
自分は正当化されるのである。そして、罪は『実体のツインレイへ押し付けることができる』のである。
このとき、天使と悪魔は『自分のおかげで』という。さて、私は彼らのおかげで神にまで心が届いたのだろうかと考えてみるが、一切合切無駄なことだったと考えている。
彼らは『自分のおかげで蒼に自分が戻ってきた』『自分のおかげで感情が戻ってきた』等いっているが、ずっと私は自分の人生を歩んでいるし、自分の感情を持っている。
自分を持っていない、感情を持っていないは天使と悪魔である影のことであり、その影が持っている罪とは『自分がない』『感情がない』、もとい、心がないからこその失敗によりツインレイ(もどきの運命)を逃していしまったがゆえ、失敗をなかったことにしたい、人へ失敗を擦り付ける。そんなことをしている。
ゆえに、実体のツインレイを『擬態する』ことで、自身はツインレイだと語りたいわけである。
しかし、フェイクはフェイクである。そもそも神にまでタッチしてしまえば、実体のツインレイは『日の心』があるわけである。その心で判断をつけることができる。
さて。彼らが何をしようとし、何をたくらんでいるのかも筒抜けとなる。
ツインレイが発光し始めてしまえば、影は近づけなくなるわけだ。
発光の状態になれば、天使と悪魔の存在の意図さえ、見えてくるだろう。
もし、私が天使と悪魔を肯定していたならば、世の道徳と倫理は崩壊することになる。
なぜならば、人を攻撃し続けるような存在が『人のうえにたつ』ということである。
なぜならば、人のものを盗み、それを正当化するような存在が『人のうえにたつ』ということである。
さて、そのような不遜な存在が人のうえにたち、人の責任をとっていくことができるのか。できないよね。
私は彼らが持つ道徳のなさと、法のもとに存在する人という倫理観のなさについてを何も考えていなかった。
そもそも私が完成するまでの間に『刷り込まれていた』のである。
「自分たちは良い存在だ。」「自分たちが存在しなければ、あなたは成立しない。」と。
「あなたを攻撃していたのはあなたのため。」「不倫をしてもツインレイだから許される」と。
全然そんなことなかった、私の為じゃなくて自分たちの為でしょ。倫理が崩壊している思想だ。
私はその影を許さないし、肯定もしないし、否定もしない。必要がない存在だと思っている。
倫理の崩壊した世などいらぬからだ。秩序があってこそではないだろうか。
さて。私がもし、天使と悪魔による影を肯定したならば。
私は実体を奪われ、私自身が影となり、彼らの罪を背負う立場になった。ツインレイの再会をすることはできなかった。
彼らはツインレイの再会を果たしただろう。
私が実体となって成立し、私自身が日の心を手に入れることが出来たならば。
彼らの罪は彼らが背負うことになる。私はツインレイの再会をし、彼らのツインレイの再会はやってこない。
自分が何をしたのかについて受け入れろ、自分が何を言い、何をして、どんな人間性なのか。
そのすべては『自己責任』である。私はそれを背負ってやる義理はないし、感謝もない。
足引っ張りしてくれてありがとうだなんて微塵にも思っていない。
ツインレイだからって無法地帯が許されるわけがない、私たちは地上におけるルールのもとに存在している。
私たちは心がまだ卵で、また神としての命として成立していないところをつけ狙われていたのである。そして、あわよくば『神さまに自分の罪を背負ってもらって自分は罪をなくしてもらおう企画』が行われていた。
天使と悪魔による共謀により。
いままでのツインレイのなかでも、実体を持っていたツインレイもいたと思う。優しい人が多いんじゃないかと思う。
そのなかでも、天使と悪魔による罪の押し付けを引き受け、実体を奪われ、そのまま日のもとまで届かずに折れた心もあったんじゃないか。私はそんな風に危惧している。
天使と悪魔の共通の精神として『自分の人生も他人の人生も背負いたくない』である。
ツインレイとして、それってあり得る? ありえないよね。
だって夫婦って自分の人生と他人の人生を合わせて分かち合い、おたがいに背負い合っていくことでしょ。