ツインレイのサイレント期間の試練について(ヘビ・ハチ・ムカデの試練)
そもそも私は『試練』とか『学び』とかが嫌いである。そんなものはない、しかし、魂の昇級試験はあるっていう考え方はしている。
よくツインレイには試練が訪れると言われているが、たしかに試練はあったらしいが、それって必要なことだったのかと思っている。私に残ったものは『楽しかった』だけだからである。楽しむのが試練なのか? というと少々違うだろうと思うから、多くの人が試練だと思っていることは、それはたぶん、試練ではなく、その期間を存分に『生きたいように生きる』が大事だと思う。
自分の時間を誰かに奪われることもなく、生きたらしいと思う。
さて。このサイレント期間の『試練』だが、記紀神話におけるスサノオの根の国へ向かった大国主の話と酷似している件についてである。
私がなぜ、根津の国へ送り込まれたのかというと、そもそも私はピカピカの魂だった。罪などひとつもないピカピカだった。ゆえに、私はわざわざ『天津罪』を背負わされて根の国へ向かわされた。
畔放(あはなち)
人の心のなかへ手を突っ込んで、激白させること。人を追い詰めること。溝埋(みぞうめ)
人の心が飢えているとき、人をほおっておかないこと。串刺(くしさし)
人の心を奪い、人の心を踏みにじること。人の心を支配すること。
人の心と自分の心が違うからと、人を呪うこと。生剥(いきはぎ)
人は追い詰めれば『本性』が現れるよね。人の本能が明らかにでてくる。頭を沸騰させるまでに人は追いつめることがある。逆剥(さかはぎ)
逃げる人を追いかけ続け、そして、人の動物性の本性を浮き彫りにさせようとすること。糞戸(くそへ)
人の心に悪心を芽生えさせるように行動し、そして、その心を『悪だ』と言う行為である。
私は天津罪を背負っている。いろんな感じで背負っている。
そして、今回、サイレント期間へ入る前にコンプリートした。なぜか『私のせい』というカタチに着地し、私はそれを受け入れていた。
相変わらずの「ま、いっか☆」精神である。特に気にしていなかった、人がそうやって人のせいにするのって弱いからだと思うし、その弱さを肯定するつもりはないが、受け入れることができるまで私が背負えばいいと思ったのである。
そして、この罪はツインレイの彼が背負っているものだったと思う。私が代替わりに背負い、そして彼を光の世界へ置いてきた。私が持っている徳を預け、彼は光の世界で『自立』をすることになった。
私は闇の世界と言う根の国で『試練』を受けることになった、代わりにツインレイの彼は安全である。彼の安全の保障の代わりに私は根の国にいくことになったようである。
記紀神話における大国主が受けた試練とは
記紀神話にでてくる葦原色許男命(あしはらのしこお)とは、大国主のことである。
葦原色許男命とは『葦原にいる醜い男』って意味で侮辱用語である。いわば、私は根の国にいるサイレント期間で罪を多く背負うことになった葦原色許男命である。
簡素に説明をしようと思う。
大国主は葦原に自分を選んでくれた八上姫を置いてくることになった。因幡の白兎の話である。八上を置いて根の国へ向かったのは、大国主が死にまくってたからぐらいの理由で良いと思う。
いわば、ヤガミと結婚することになった大国主を恨む兄ちゃんたちがいて、その兄ちゃんたちが大国主を殺そうとしまくっていたわけである。そして死んだ。
人が持つ心の弱さを押し付けられて死に、最終的に『根の国』へ逃れ逃れてかくまってもらうことにしたのである。
そこにいた須勢理姫は大国主と結婚することになった。(えっ、ヤガミはどーするのよって思うんだが、ストーリーは進む。)
しかし、スゼリの父であるスサノオは『試練』を与えることになる。男として、おまえに嫁はやれねーってことだ。
これが大国主が試練を受ける経緯である。
ツインレイはサイレント期間で大国主の試練を受けている
私自身はサイレント期間で大国主の試練を受けていた。
出会いの時点で、私はヤガミヒメであり、ツインレイの彼は大国主だった。
しかし、天津罪を背負いまくり、私は大国主の代わりに、根の国へ向かうことになった。ツインレイの彼が背負うべき罪は私が背負うことになり、ツインレイの彼はヤガミヒメとなったのである。
ツインレイは出会いからサイレント期間までに『立場を交換』し、それから、根の国か、葦原かに分類されていくのである。
ツインレイが受ける試練は四つある
試練は四つ存在する。
- 蛇のいる部屋で寝る
- ムカデやハチがいる部屋で寝る
- 火のなかへ矢をとりに行けと言われる
- スサノオのムカデがはい回っている頭にあるシラミをとる
ということである。
そして、この試練はすべて嫁にしたいと思っているスゼリによって助けられ、試練を終わらせている。そして最後はスサノオを柱に縛り付けて逃走することになる。このとき、刀と弓と、琴の三つの神器を持っていく。そして、最後の最後に、スサノオが追いかけてきては『刀と弓で従わないやつらを従わせろ! そしてスゼリを立派な宮殿にすませろ!』と言う。
いわば、これが男性の『男としての認められる儀式』みたいなものである。
男と言うのは『支配者であれ』ということだ。そのために武器を持って『人の上に立て』。そして『妻に贅沢をさせろ』ということだ。
蛇のいる部屋で寝てみる試練を受けてみた。
蛇とは『噛みつく女』ってことでいいんじゃないか、と思う。
そもそも自分本位に持っている本能と毒で咬みついてくる人である。いわば『女の姿をした蛇』なわけである。
この試練で必要なものとして『スゼリのスカーフ』なわけだ。蛇のスカーフである。
で。私は何をしたのかっていうと。
たぶん。踏んづけてしまったんじゃないかな、と思う。蛇を。というか、私が蛇レベルに怒った。
何に怒っていたのかというと『自分にとって気分がいいから感謝をする』という、感謝をしまくっている人に対して『ただのマスターベーションじゃねえか。』と腹を立てていた。
たぶん自力で撃退している。スゼリのスカーフは使っていない。
ムカデとハチのいる部屋で寝てみる試練を受けてみた。
どっちも毒満載である。ムカデっぽい女性とハチっぽい女性ということだろう。
ムカデは『前にしか進まない』ってことで、めちゃくちゃ好戦的な女性のことだと思われる。
ハチは『人を刺す』わけだが、チクチクチクチク精神攻撃をされ続けるわけである。
これにはふたたび『スゼリのスカーフ』が神話では必要となっているが、スゼリのスカーフは使っていない。
誰かが守ってくれていたわけではない。普通に「頭大丈夫か」と思っていたところがないわけではない。
この期間、他人が正気の沙汰じゃない。
だからか、私はムカデになったし、ハチにもなった。なにやってんの? って感じで、ムカデには半ギレし、ハチにも刺されるたびに「いてえわ、何してくれんのよ」って勢いで怒っていた。
私も正気の沙汰を失っていくわけである。
炎のなかに矢をとりにいく試験を受けてみた。
このとき、ネズミが「内はほらほら、外はすぶすぶ」といい、地中のなかへ隠れるわけである。そして、炎がなくなり、生き残ることになったわけである。そのあいだ、スゼリは『大国主しんだ。』とか思ってお葬式の準備をしているわけである。
さて、私だが。炎は投げられたんだが、逃げはしなかった。
これがサイトを構築し、しかし、放火されたので、逃げ出し。違う場所に再びサイトを構築することになった件である。
炎上って感じなんじゃなかろうか。
私自身は、逃げたきゃ逃げるし、でもやりたいことはやりたいのでやる主義なので、サイトはふたたび構築し始めたというわけだ。
燃えたけど、燃え切らなかったのは、私の心である。
スサノオのシラミをとる試験を受けてみた。
なぜか話をしていると攻撃されることが度々ある人がいた。最終的に『思考回路の整頓』をして終わった件だと思われる。
スゼリにムクの実をもらって、噛み砕く音によって、スサノオは「ムカデをかみつぶしている」と思い込む。
だけど、私はちゃんとムカデという好戦的な姿勢がある人と話しながら、重要な話をしてきたように思う。心の話である。どこに何があって、どうして好戦的なのかっていうことを考えていた。
スゼリのムクの実は使わなかったというわけだ。
スサノオから嫁はもらうつもりはない
さて、私は、スサノオの娘であるスゼリを嫁にもらおうとは思っていない。
そもそも私にとってのスゼリとは、ヘビ、ムカデ、ハチである。スゼリは昆虫だったのである。
私からすれば『何を言っているのかよくわからない』のは当たり前である。そもそも心あっての話をしているわけでもない。
そして、最終的にこの三匹となる女性たちは、私への執着が強かった。
『蒼のために』とクチを揃えて思っていたようである。
いわば、私のために攻撃をしてくれていたらしい。そもそもおかしな話である。私の為であるならば、ほおっておくことが一番大事なことである。私は過干渉されることが一番苦手なのだから。
いわば、スゼリ自身が夫である大国主を攻撃していたっていう事実がある。
そして、スゼリが持っている強い感情として『嫉妬』があるのではないだろうか。
強い嫉妬を抱え、大国主をチクチクいじめ、そして、殺しているのはそもそも『スゼリ自身』であり、そしてそれは「あなたのためを思って」と言っているのである。
え、どこぞの毒親ですか。って思いませんか。私は思う。頭大丈夫か、って。
私の為ならば、私の気質である『ひとりでずっと考え事している邪魔をしない』ことが一番の発展をしたであろうことを邪魔したのは彼らである。
スゼリをサイレント期間で、根の国に置き去りにすることにした。
私はサイレント期間で起きた出来事により、多くの人とつながりを持った。そのなかでも試練に関わる『スゼリヒメ』によるハチ、ムカデ、ヘビの三人を根津から連れ出すつもりはない。
私は彼らを根に置き去りにする。いらないからである。
ムカデは人を攻撃し続け、ハチはチクチクと人の心を刺し、ヘビは人の為という言葉をつかって自分のことしか考えていない存在だからである。私はこの気質がマジで嫌いだ。
スサノオも『炎』のなかに私を追いやったわけである。私の為を想って、彼らは何をしていたんだろうかと思う。
さて、彼らの言い分についてと私についてを書き述べて置く。
ヘビは私に『感謝することは大事なことですよ』と言っていた。「今日は晴れていますね、あなたのおかげです。ありがとうございます。」って言われても「?」である。これをヘビの形になぞってなのか、マスターベーションと比喩した私である。
ムカデは私に『自分はどうしたいのか』と言っていた。そもそも私がどうしたいのかなんて勝手である。私は常に『自分の道』を生きていたし、『自分のやりたいようにしかやっていない』わけである。
ハチは私に『感情がない』と言っていた。私はめちゃくちゃ感情豊かな人間だが、ハチといっしょにいるとイライラしまくっていた。理由は人の気持ちがわからないから、チクチクとマウントしてくるのである。
スサノオは『逃げるのは人の為だよね』と言っていた。私は関わりたくないから逃げた。そもそも炎上している場所になんていたくないでしょ。人が悪い状態になっていくことを見続けるのは嫌だけど、でもそれを彼女のためにっていうわけでもない。私が関わり合いたくないから逃げたのである。つまり「めんどくせ!!」って思ったってことだ。
スゼリたちの言い分は最後までこうだった。
「自分のおかげで試練を乗り越えられたんでしょ?」って。
そもそもスゼリ自身が私にとっては試練であった。そしてスゼリが抱えている問題を私が解決していたにすぎない。
そもそもその問題を解決する必要性がないのに、その問題を解決するようにと試練を押し付けられていた。
そもそもの問題である。自分のケツぐらい自分でフケよ、と思う。人に押し付けるな。
スゼリは何ひとつ中身のない感謝しかしていない。
スゼリは自分がなにひとつないから、人に自分がないと言ってくる。
スゼリは自分の感情がないから、人に自分の感情がないと言ってくる。
この『中身のない感謝』『自分がない』『感情がない』心無い状態がスゼリたちであり闇の刺客である。
私は常に感謝したいときに感謝を述べているし、自分がある。そして自分の人生を生きている。そして、自分の感情を持っているのである。しかしそれを『なかったことにしている』人たちが根の国の闇の刺客である。
私にとってありえない世界だった。
『私には感謝がない設定』『私は自分がない設定』『私は感情がない設定』に私はされていた。そして『弱虫』の設定にされていた。
これがツインレイ男性へのレッテルである。これが私の彼くんが背負っていたものであり、他者に理解されないという理由である。
『感謝がない人だ』『自分がない人だ』『感情がない人だ』『恐いことがあるとすぐに逃げる人だ』。
これが私のツインレイの彼くんが抱えている外部からのレッテルであり、そして、私が押し付けられたレッテルであり、私は彼くんのソレを引き受けた。
私は彼くんに『感謝がない』『自分がない』『感情がない』『逃げる』だなんて思ったことがない。私は彼くんに感謝していたし、自分がある人だと知っている。感情豊かなところも知っている。よく笑っていた。そして、逃げ出さない人だ。
ただ、優しかったことを知っている。
聞きたい、根の国の試練は必要か。私はいらないと思うぞ。
私はスゼリを連れて葦原に戻らないし、神器もらない。刀も弓も、琴もいらない。
私は人を裁くものを持たないし、神をおろす道具もいらないと思っている。
私にとって必要なのは、心ひとつを持ち帰ることである。
心を持っている人は、感謝がないようにみえるよね。自分がないようにみえるよね。感情がないようにみえるよね。逃げているようにみえるよね。でも、そこに心があるから『みえない』んだよ。なにを想っているのかなんてわからない。
外部に表出しているものがすべてじゃない。内部に存在しているものが『心』で、表しているものでしか認識できるものじゃない。
私には心があった。ずっと、優しい心を守っていた。
私が守りたかったのは大国主という彼くんの心である。優しい心である。
私は根の国から何ひとつ持ち帰るつもりはないし、そもそもこの世界に来たのも『ヤガミヒメ』である彼くんを守る為である。
しかし、ヤガミである彼はもう自分で自分を守ることができるだろう。それぐらい『自分』を形成することが出来ただろう。
大国主に戻るだろう。私は八上姫に戻る。彼の帰りを今か今かと待ち続けることができる八上姫に戻る。
そのために私は根の経験を無にする。
私は根で『試練』を受けていたわけじゃない。私は心を守っていたのである。もし、心を守ることが試練ならば成功したともいえる。
誰にも『そこに心がある』だなんて思わなかったんだから。私は『感謝がない人』であり『自分がない人』であり『感情がない人』、『弱虫』に思われていたんだったら、私はそこに心を抱えていたんだと思う。
心だけを持って葦原にかえる。
私は立派な宮殿はいらない。誰かを弓や刀で従える彼もいらない。
彼が心で行う立派な政を私は望み、その優しい心が稼ぐいくばかのお金でささやかな暮らしができるのであれば、私はそれでいい。
そして神もいらない。神と繋がる手段も私にはいらない。私が従うべきは神ではない、彼だからである。
サイレント期間は闇の底辺にまで落ちる
ちなみに、私は『闇化』していた。サイレント期間の中盤ほどで『最悪なる人格』にまで成り下がっている。
人のせいにする自分になり、人を傷つける自分となり、人を弱虫よばわりするような最悪なる人格になった。そんな人格じゃないと闇の世ではやっていけないので、私は郷に入ったら郷に従え主義のまま、闇化した。
このとき、彼は『光の人格』にまでなるのである。
私が闇として最悪なる人格になればなるほど、彼は光として輝くのである。
彼が「光となった代償は私の人格」である。私は傷つけられまくって、傷物の心となったがゆえに、最悪なる人格となった。
彼は私になったんじゃないかな。もし、彼が私になったのであれば『私に気づく』はずである。
彼を私は見つけた。同じように彼は私を見つける。だって、その心がいかなる輝きを放っているのかを知っている。
傷ついている。だけど、その傷を無にするだけの強い心を彼が見逃すわけがない。私が見逃さなかったんだから彼がそれを理解できないわけがない。