闇に犯罪の言い訳をさせているのは私たちである。
怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。 そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。引用:ニーチェ
これはニーチェの言葉である。
そのままかなと思った。闇という存在と向き合い、自分自身がその闇に呑まれている。
闇に呑まれるとき、相手をどうにかこうにか理解しようと努める姿勢が人にはある。
つまり、今回、闇を直視しすぎているような気がした。
相手がどうしてなのか、なにをしたのか。どういう行いをしたのか。とかね。
結果である。つまり相手が何を想ってどうしたのかなんて、どうでもいいのである。私たちは『現象』のみを見続ければよく。
闇を見つめ続ければ、私たちもまたアビスに呑まれていく。その心理を理解する必要性が無いのに、理解しようと努めれば、やっぱりそれは私たちが『闇に溺れていく』だけじゃないか。
闇を許したいだけ。闇は悪くないと思っていて、その闇を許さないでい続けることが辛いだけ。
私は闇を見すぎた。そして理解しようと考えた。だけど、理解できないことがある。
その理解できないことが闇だ。
だけど、私たちは『同じでありたい』だから、同じにしようと矯正をかける。
アビスのなかで、多くをガン無視していた理由はこれなのかもしれない。相手を理解しようだなんて思ってもいなかった。
理解したところでどうしようもないからだ。そのまま受け入れていた。それでいいと思っていた。
何も変わらない、現実は。過去は消えない。
言い訳を多く相手に与え続けることが、余計に相手をつけあがらせる。
彼らは『言い訳』を手に入れる。そして私たちも納得が生まれる。しかし、その納得があるからといって事実は消えないわけだ。
つまり、この闇による言い訳も『意味がない』わけである。
言い訳がほしいのは、私たちであることに気づかなければならない。
意味がないことを私たちは求め続けている。そこにあるはずもないことを、追いつめれば、人は嘘を吐いて、それを『意味があるもの』だと私たちは捉えていく。
納得が欲しい、それこそ、独り善がりな話なのかもしれない。ただ、相手に嘘を吐かせるまで追い詰めただけなのかもしれない。
それこそ、私たちは納得が欲しいばかりにアビスを覗き続けては、アビスに呑まれていたのである。
『君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。』
私たちは覗かれていた。求めれば求めるほど、のぞかれ、のまれていく。
言い訳があれば許される。闇を生み出してしまったのは『言い訳が欲しい私たち』であった。
言い訳はいらない。なにがあってもいけないことはいけないこと。
言い訳を与えてはいけない。何があったとしても、悪いことは悪いことだ。
言い訳をして許されるだなんて思わせちゃいけない。それがまかり通らせてはいけない。
闇をうみだしているのは、自分であることに気づかねば——。
そして闇が気になる理由は、自分の闇が気になっているのだ。
人のなかには必ずアビスがある。そのアビスをのぞき込むとき、必ず人のアビスと向き合っている。
私たちが欲しいのはいいわけじゃない、謝罪だ。理由じゃない。どうしてなのかという原因でもない、心からの謝罪だ。
その謝罪を受け取って、ようやく私たちは言い訳を欲することがなくなる。
だけど、心からの謝罪を受け取れるまで許さないでよい。その反省による謝罪を強制的に行ったところで人は反省をしない。
気づくまで、それは許さないでい続けることが大事なのだと思う。
弱いのは『許さない』ってことが許せない自分だ。許そうと一生懸命に頑張っても、許せないものは許せない。
許せない自分を許せば、きっとアビスを覗かなくても大丈夫になるだろう。
言い訳が欲しいのは、私が弱いからだ。私には言い訳はいらない。そして私も闇に言い訳は付与しない。
謝罪以外を受け付けない。ただそれだけだ。そうやって強く生きていく必要性がある。
私は私の記事を侮辱と共に許可なく、晒しつづけている犯罪者を許さない。だけど訴えることもしない。
なぜならば『自分は犯罪者です』と自分でいっているようなもの。人の記事を勝手にパクっては、晒し続けている犯罪者。引用ではない、そっくりそのままの転載をし、侮辱を続けている。
ブログを読めばすぐに分かるから、危険な人ですよってのがヒト目でわかるし、(ないとは思うが)関わる人への忠告にもなるだろう。
記事が取り消されたら、彼女がし続けている罪の証拠が消えてしまうから、そのままブログが残りつづければいいと思っている。
彼女がそのような犯罪をした過去は消えないし、過去をなかったことにはできない。そしてブログに証拠が残り続けている事実がある限り、彼女は犯罪者である。背負い続けたらいいと思う、証拠と共に犯罪を犯している過去を。
罪は消えない。消したとしても消えない。過去は消えない。
だけど、その犯罪心理についてを知りたいとも思わないし、言い訳しようにも聞くつもりはない。それに意味がないからだ。
どんな心理があったとしても言い訳にはならない、理解もしない、理解ができない。行動には必ず責任が伴う。その責任を背負って生きていくのが『人』だ。
どうやら彼らは法律(訴えられること)が怖いらしい、よくわからない。私は法が怖いと思ったことがない。法律は私たちを守ってくれるものだと習っているから。
だけど、訴えられなくても罪は罪だよね。っていう結論にいたった。罪は被害者じゃなくて犯罪者が背負うものだよね。私に押し付けようと頑張っていたみたいだけど、どう頑張っても無理ゲー。
私は闇にはならない。私は私なりに自分と戦い続ける。自分との戦いに負けた存在が闇である。
そういえば、「まともな人間になった」みたいなことを言われた。私は彼女の言うまともな人間になりたくないと思った。
彼女がいうまともとは「犯罪のほう助」だから。
昨日、ドロップレイのドメインが更新された。ウケる。このドメイン、無料契約で新しく契約しなおしができないんだよね。ずーっと残り続ける。私のドメインは私の手元にあり続ける。
これが私の意見というカタチで、私は『犯罪』についての結論を〆たいと思う。