ツインレイの闇は私を裏切り続けていたという事実。
逆を返せば、ツインレイの彼くんは私の心を裏切っていなかったっていう光の事実。
サイレント期間の闇は私へ近づいてきては、私へ『自分とは担当が違う』という話を私を主軸にして言っていた。
私はそれを鵜呑みにしていたところがある。
けっきょく、そのおかげで私は理論にひずみをうんだ。
私と彼は私とふたりで完結しているはずなのに、どうしてか闇は『担当違いによる存在である』という話をして、私を『自分の思う通りの理論』を求めていた。
私はその辻褄合わせをしていたけど、どう頑張ったって無理が生じているのである。その部分をどうにかこうにか頑張ってつじつま合わせをしてみても、私と闇側の存在は『連動』などしていない。
私の理論上、天使はツインフレームだったし、悪魔はツインソウルの状態だった。だけどそれすらも今はあやしい。
それに対して彼らは『ツインレイだ』と言うのであれば、きっとそうなんだろうって思った。だから私はすべてを『ツインレイ』として取り上げた。
しかし、その経験も、内容も『ツインレイであること』の定義も彼らはバラバラで。
闇の彼らが言うツインレイとは『ツインレイという運命』であり、私が持っていたツインレイとは『彼』である。
私は、このサイレント期間で、闇の道具だった。
本当は彼らも『わかっていた』んじゃないか。そう思う。だから、つじつま合わせを私にさせては尚『自分もツインレイだ』という確証が欲しかった。
でも私は確証がなくたって彼を追いかけた。その理由は『彼だから』である。肩書きなど、私にとってはひとつの側面性に過ぎない。
私の彼が好きだった理由は『運命を感じたから』とか『ツインレイだったから』ではない。
彼が社会をみていたからだ。彼が私を見ることもなく、まっすぐに社会を見ていてくれたから私は彼がよかったのである。
彼は『仕事をする』。世に『自分が出来ること』をする。彼は『人のために、社会のために働く』。その意識があった。
私が彼を原石と比喩するのは『男の在り方』という心があったからである。だから私は支えようと思ったし、私は『女になってもいい』って思った。彼にならばお腹を見せてひっくり返ってみせようって思った。
いくらでも服従するつもりだった。彼を『主人』とし、彼を『男』にするつもりだった。
だけど、彼は君主たる自信がまだ持てなかった。それは彼が思う『男の在り方』として、女性を養って一人前とか、いろいろあったようだ。
私は『彼の夢』が『社会のために』と繋がっているからこそ、彼が良かったのである。彼の夢がもし自分のお金の為に繋がっていたならば、私は彼を好きにならなかっただろう。
だけど、彼は溺れてしまった、私にだ。彼は最後『私のために』お金を欲しがった。私の幸せを思ってくれた。
私のために頑張ってくれようと私の犠牲者になった。私は『私の犠牲者』が許せなかった人である。彼が彼であるアイデンティティを放棄するまで好きになってくれたこと、愛おしいと思っているよ。
でも、だからこそ、いっしょにいられなくなって離れたのである。
違うよな。彼が社会の役に立って、その結果、発生するお金ならば私は貧乏だってよかった。
私の犠牲者になる男なんて私は許せなかった。それは私の知っている『男の在り方』ではなかったんだ。社会を背負ってこそ男でしょ。
そして一番は私が私を許せなかった。うまくやれなかったのは私の責任にある。
だから私は彼と離れたことも後悔していない。それに、あのとき、彼が自分を見失うぐらいならば私はそばにいないほうがいいと判断した。それは社会の損失になるから。彼には価値があると信じて疑わない私がいる。
だけど、あのとき彼は『この人のために生きる』って思ってくれていたんだと思う。なんとなく、そんな気がする。
その決断は正しいけど、半分は間違っていたと思う。その半分とは『すべてを私に捧げてはならない』ってこと。
すべてを捧げるのは女がやること。男は半分を社会に預けておく必要性がある。残りの半分を家庭に。そのふたつの循環を保つのが『男』でしょ。
でも、私への愛情があるってことは本当によく理解したんだよ。
私はサイレント期間へ『自分の意思』を持って行っている。私はサイレント期間が早くあければいいと思っていた。だけど、サイレント期間へ突入したことに後悔などひとつもなかったし、私はその決断をすることができた自分に誇りがある。
私は『自分のために彼を犠牲にしなかった』のである。それは『自分のために社会を犠牲にしなかった』とも言える。
私は女として、彼の功績が私の勲章だったから。
闇はずっと私を犠牲にし続けた。私の決断を無に還そうとするのである。
私の決断を『なかったこと』にしようとしていた。そして私と彼の不思議なつながりをも否定されることもあった。
たぶん、そのような経験が彼らにはなかったからなのかもしれない。それから私はほとんど『彼とはどのような関係だったのか』のかを話していないし『彼に対して自分がどのように思っていたのか』をも話さなくなった。
話してはいけないような気もしたし、それをすると、なぜか『否定』されるのである。
そんなに否定されるような気持ちだったのだろうか。私が彼といっしょに生きていくために必要とした思想は、そんなに否定されていいものだったのか。
彼らは『社会』のことを理解していなかったようにも思う。
そして『男とは』『女とは』。そういう男女におけることについても何も考えていなかった。否定するか、肯定するかしかできない。
男性としてどうあるべきなのか。女性としてどうあるべきなのか。性差によるアイデンティティの構成である。そして『自分はどのような女性に、男性でありたいのか』。
そもそもその根源たる『人としての理想』がないのである。
『自分がいかなる理想的な存在になるべきなのか』。その理想がない。その理想を追い求めない、そしてその理想を見つければ『否定』と『肯定』をし、自分の意見として取り入れ、身にしない。やってみない。経験をしない。
おかしな話である。賛否両論を述べる人たちがその経験がないなんて。
エゴを捨てる、だっけ? 私はエゴを捨てたよ。それがしたかったからやった。
だけど、エゴを捨てたことが人がどうしてエゴを捨てることを否定し、肯定することができるんだろうか。
賛否の権利があるのは私だよね? 否定と肯定をする権利がある私が、なぜ否定もせず、肯定もしてなかったの。理由は私の経験に対して『否定もないし、肯定もない』からである。あるのはただ『やってみた私の人生』である。
肯定しようが否定しようが『私と言う結果』がでているのに、その結果を何故、賛否せにゃいけんのか。
そうありたかったから私はやってみた。結果こうなった。
結果、ツインレイである彼がやってきて、それは社会ではまったく理想的ではない底辺にいる存在だったけど、私にとっては最高の理想の王子様の姿をしていたっていうだけ。
私はそんな彼を好きになった。この人のために生きようって思った。
この人は『私のために生きない』『社会のために生きることができる』って思えたからだ。
私のために生きる男なんざ男じゃないって思っていた。男は社会を背負ってなんぼでしょって。
私の経験に対して誰かが否定や肯定することも出来ない。その権利がない。だけど、闇側の存在は人の人生の良し悪しを審判にかけるような権利があると思い込んでいる。これを私は『おまえは神か、なんかか?』とよくキレていた。
そう。彼らは『アクの神』だったのである。
人を審判にかけるほど、よくできた人生を送ってきたのかのかと聞きたい。そもそも、私を審判にかけている時点で『自分の人生なんて何もしてこなかった』んじゃないか。
私は人の人生を否定も肯定もしなかったが、私は今ここで『闇の人生を否定する』。私は、自分がどうありたいのかの理想のために生きてきたからである。その理想の体現性は常に闇の人生を否定することになる。
だから私は空っぽの人生を否定する。それは『人の人生』ではない、と。
私は自分が『人』だと思っているし、なんなら三位一体の思想を分解しまくってツインレイとは何か——の定義を組み上げた人である。
組み上げられた時点で私は『私が思うツインレイ』になれているし、私が持っている三位一体の構成を持っている『人』になれたってことなんだ。
現状を見てみろ。何が残っているのか、闇側に。
私には『約束』と『信念』と『理想』が戻ってきた。
そのうち、社会に生きる覚悟と、私にその道を歩むことを強制する、強いる彼が帰ってくる。私は、その日を今か今かと待ち望んでいる。
彼が背負う苦労をいっしょに背負う覚悟を私は出会ったときに決めている。私に自由はいらない、束縛がほしい。
私は彼の檻のなかにはいり、それを喜びとして考える女性になりたかったのである。彼がそんな女性へ私をしてくれる。
私はそのときを今か、今かと待ち望んでいる。
だけど、闇側には『何が残ったのか』。教えてほしい。
そこにあるのは『私を肯定するのか』『否定するのか』。それだけだろう。それって自分の人生なのか? 人の人生とは誰かに肯定され、否定されることにより構成されるものなのか。
違うだろう、人の人生は『人が生きている道』であり、自分の人生は『自分が生きている道』であり。このふたつは交差点がない。このふたつはどちらも『共存』しているし、誰かのせいで自分の人生が迫害されることも、人の人生を自分が影響を及ぼすことは出来ない。
私は闇にその思想を根付かさせられた。だけど、やっぱり違うわ。私は闇の人生に『なにひとつ責任がない』。申し訳ないだなんてひとつも思う必要性がない。
私はサイトを運営する上で『認識していないもの』がある。
私は他者に影響を及ぼさないってことだ。私如きの思想がどうして人に影響を及ぼすことができるんだよってこと。だから私は自由に生きているし、自由思想の連続性を生んでいる。無限なんだ。
そもそも私は『他者という概念』を認識していない。私はいつだって『個人』だった。だけど、私はその他者に対して影響を及ぼしていることも理解している。理について、そして集合的無意識に関することである。
私はいつだって『他者に影響のない自分』でありたいと思っている。私は精神的に自由でありたいからだ。私はそんな自分が大好きなんだ。そして、そんな私のことは皆大好きだって知っている。
私は『自分がどうありたいのか』ってことしか考えていなかった。
だから私は我が道を進む。私は皆を信じていた。私が自分の道を生きているはぐれ者を好きだって思ってくれるって私は信じているんだ。だって私は皆のことが大好きだったから。
だけど、闇側は常に私を裏切っていた。私のことが好きだったわけじゃない。
私は闇側がいう『自分はツインレイだ』という言葉や『私の人生と反対なんだ』とか言われたりして、いろんなところで私は裏切られていた。
そんなの、私と言うツインレイに対して自分を添わせて『自分をツインレイにしたがっていただけ』じゃないか。
自分の言い訳のために私を利用して私を道具にしていた。私が人を信じているから、信じている私を利用して彼らは私を『自分をツインレイにしてくれ』と利用していただけ。
私は裏切られていたことに気づいた。知らなかったんだ。信じていた、だけど、裏切られていた。知らなかった。
ツインレイが戻ってくるか、どうか。だけど。
私は『ツインレイの相手に見つけてもらう』ってことが出来るのは、そこに心があってこそなんじゃないかって思っている。
そして『ツインレイの相手を見つける』ってことは、そこに心があってこそ。だってそうじゃなきゃ『存在がない』でしょ。
サイレント期間で、感情に触れることはあったけど心に触れたことはない。
だけど、闇側の人は『私が優しかった』ってことは知っていると思うよ。だってその優しさにつけ入ったんだから。
その優しさが『私の弱さ』ではなくて『私の在り方』で。私がそうありたいと思うからこそ、私が人に優しくするのが当たり前である大前提だからこそ、彼らは私に取り入った。
心がない闇側の人に『傷ついた』とか。『心』を語る権利も、否定も肯定をする権利もない。
私を否定をし、肯定をする権利もない。
そこに心があるならば言葉がないよ。私に対して『何も思わない』だろうよ。ただ、ずっとブログを書き続けている私が『泣いている』ことはわかると思う。
いま、ここに。彼がいないことに泣いている。それだけ。でも私は可哀想じゃない。
闇は私のツインレイの再会を求めているだろうよ。または再会しないでほしいと思っている。
だって、自分は『私と連動している』って思っているから、私が再会をすればあわよくばできると思い、再会しなければ自分が。とか思っているんだろう。
けっきょく、それって自分の人生に責任がないってことなんだよな。私に自分の人生を預けないでくれ。
そういう意味で私がものすごく主体的な存在だってことも理解できる。
私はツインレイの彼くんがもし戻ってくることがなくても、私は生涯独身かもしれないが、それはそれで私の人生、一興だと思っている。
ただ、ツインフレームのとき。ものすごく恋焦がれるような恋愛をして、私はこれ以上にないぐらい心に尽くしたとき、思った。
「後悔はない。」と。
そして、今回、ツインレイの彼くんに対してもそう。後悔はない。
私は自分の人生を誰にも預けていないし、自分ですべてを決断し続けている。その都度、自分にできる限りのことをし続けては、人のせいになどしてこなかった。
私はこのツインレイの結果がいかなる形になろうが、私は受け止める覚悟がある。
後悔があるのは彼くんだよ、私といっしょにいきていく覚悟が出来なかった彼。
自分に自信がなかった彼。信じてもらうにはかえすものが何もなかった彼。それでもそばにいた私に罪悪感を抱えていた彼。
ひどいことをしている自覚があっても、どうがんばっても向き合えなかった彼。あのとき、どうすればよかったのかと後悔し続けているのは彼。結婚していればよかったのか、と、後悔している彼。
私じゃない。私はいつも後悔しない選択をし続けている。私はいつも『彼を一番に考える人』でありたかったから、私は今の現状そのものが『彼を一番に考えたからこその結果』であるからこそ、その事実を受け入れている。
そして出会ったときに『待っている』と覚悟を決めた私がいる。だから私は待っているんだと思う。やっぱり女として待てないのは女じゃないとも思っていた。
だけど、私の強さに甘えるのは、もうお終いにしてほしい。
男として。
自分の弱さ、等身大の自分を受け入れられないほど狭量だとか、かっこ悪い。私は自分一人をまっすぐに受け入れることが出来ない男を男として認めない。
プライドばかり高くなって自滅する男なんざ、まともな仕事しないだろうがよ。
三匹のペガサス。四匹の鳳凰。
三匹の馬は走り去った。四匹の鳳凰は飛び去った。
私は鳥で、彼は馬。私は四つに分離して飛び去り、彼は三つに分離して走り去る。
私の魂は四分割され彼の魂は三分割されて暗闇の世にきた。私の影は四人、彼の影は三人。